ザッハトルテの誕生は、次のふたつの説が有力とされています。
1. 1814から1815年に開催されたウィーン会議の際に、主催者メッテルニヒが、料理人フランツ・ザッハにウィーン会議のためのお菓子を作るように命じ、そこで提供されたお菓子を、ザッハの名前から「ザッハトルテ」と呼ばれるようになったという説。
2. 1832年にメッテルニヒが、特別な客人をもてなすためのお菓子を作るよう料理長に命じたが、料理長が病に伏せてしまっていたため、見習いだったフランツ・ザッハがかわりにお菓子を作りザッハトルテが生まれたという説。
どちらの説でも、メッテルニヒが料理人「フランツ・ザッハ」に命じて作られたケーキが、ザッハの名前から「ザッハトルテ」という名前になったという点は同じとされています。
フランツ・ザッハは、このザッハトルテを売り出して財をなしました。その後、ザッハの息子エドゥアルド・ザッハが、ホテル・ザッハを開業しましたが、経営難に陥ってしまいます。そこに手を差し伸べたのが、ウィーン王室も御用達としていたケーキ店「デメル」。デメルは、ザッハトルテをデメルでも販売してもよいということを条件に、経済援助をしました。
しかし、その後ホテル・ザッハは、ケーキ店デメルに対して、ザッハトルテの名称の使用を禁じることを求める裁判を起こします。この裁判は7年にも及んだことから「甘い7年戦争」とも呼ばれています。
この裁判では、ザッハ側の勝訴となりましたが、デメルも「デメルのザッハトルテ」として、ザッハトルテを販売してもよいとのことになりました。そのため今日では、「ホテル・ザッハのザッハトルテ」と、「デメルのザッハトルテ」の、2つのザッハトルテが存在しています。
※諸説あります。