ライター : 中島茂信

パン職人、農業のプロに自然農法を習う

Photo by 濱口太

このシリーズでは、農業に力を注ぎはじめた、365日のオーナーであるパン職人、杉窪章匡さんの考え方を紹介していきます。第1回は、下記からご覧ください。
3年前、杉窪章匡さんにジョン・ムーアさんが、「もっと小麦を知るためにも自分で栽培したほうがいい」と進言しました。 ジョンさんは、一般社団法人「SEEDS OF LIFE」の代表理事です。小麦をはじめとする、昔ながらの伝統的な在来種の植物を長年育ててきました。 ジョンさんは杉窪さんに、恵泉女学園大学人間社会学部(東京都多摩市)の澤登早苗教授を紹介しました。

Photo by 一般社団法人「SEEDS OF LIFE」

小麦を収穫中のジョン・ムーアさん
そして昨春。澤登先生、杉窪さん、ジョンさんの3人が、大学の畑に集まりました。ジョンさんが持参した小麦の種をまくためです。 まずは杉窪さんに、小麦栽培を肌で感じてもらう。それが目的だったので、収穫量は二の次。2m四方の畑2枚で小麦を育てることに。ほぼ同時期、ジャガイモの作付けも行なったそうです。 そして6月、小麦とジャガイモを収穫しました。

Photo by 濱口太

澤登先生は、社会人を対象とした公開講座を行なっています。公開講座は、ほぼ2週間に一度開催されます。大学の畑で野菜を自然農法で育てる、実践形式の公開講座です。その公開講座を、杉窪さんは昨年4月から受講しています。 澤登先生は、杉窪さんに自然農法を教えつつ、杉窪さんが農業にチャレンジする畑を探しました。それが、杉窪さんが小麦を栽培した畑です。大学から徒歩10分ほどの場所にある町田市内の休耕地でした。面積は約2反(600坪)。地主さんが高齢になり、耕作ができなくなっていたところを、澤登先生と一緒に、農業委員を務める近所の農家が世話してくれたのです。

Photo by 濱口太

杉窪さんが店のスタッフと草刈りをし、別の農業委員の方がトラクターで耕してくれました。 その畑に昨年暮れ、杉窪さんは、いろいろな品種の小麦をまいたというわけです。 収穫するまでの間、杉窪さんは、とくに何もしなかったそうです。稲も小麦と同じ穀物ですが、稲は除草が欠かせません。小麦もときに除草をすることはあっても、小麦ほど栽培が簡単な作物はないとジョンさんは説きます。 「私は、20年小麦を栽培していますが、種をまいたら収穫するまで何もしません。放ったらかし(笑)。小麦はなにもしなくてもOK」(ジョン・ムーアさん)

渋谷に小麦畑。「GREEN THUMB」(グリーンサム)のシンボル

Photo by 濱口太

【GREEN THUMB】 住所/東京都渋谷区桜丘町28-9 電話03-6452-5611 営業8時〜18時 無休
その栽培スタイルを実践している畑が、渋谷区桜丘町にあります。杉窪さんがプロデュースする「GREEN THUMB」(グリーンサム)です。
今年の5月にオープンしたこの店には、小さな小麦畑があります。     「小麦は農産物です。でも、パン職人もパンを食べる人も含め、そのことをきちんと理解していない人が多いと思います。誰かが小麦を育てて収穫し、粉に加工し、僕らのようなパン職人がパンを焼きます。ところが、多くの人が、パンをスーパーに並ぶ、工業製品のように思っています」(杉窪章匡さん)

Photo by グリーンサムの外観の畑

パンは工業製品にあらず。自然と農業の賜物です。そのことを少しでもわかってほしい。そんな思いもあり、杉窪さんは、小麦を育てる渋谷の新店舗を「GREEN THUMB」と命名しました。GREEN THUMBは、〈植物を育てるのが上手な人〉という意味です。 畑を作ったのは、ジョンさんです。

Photo by 一般社団法人「SEEDS OF LIFE」

グリーンサムの店舗前に立つジョン・ムーアさん
「杉窪さんに、小麦畑を新しい店に作りたいと頼まれました。澤登先生にも協力していただき、GREEN THUMBのオープン前から、プランターで苗を育てることにしたんです」(ジョン・ムーアさん) プランターの土は、澤登先生が長年自然農法を行なってきた恵泉女学園大学の畑の土。自然農法を実践する上で、欠くことのできない大学の土を「GREEN THUMB」に運びました。 その畑に、大学のプランターで育てていた小麦の苗を移植。 こうして渋谷に、小さな小さな小麦畑が完成しました。

Photo by 濱口太

すべてのパンに小麦の品種名と産地などが記載されています
ジョンさんは、「GREEN THUMB」の壁面を活用し、植栽の中にイチゴや大豆など、食べられるものを栽培することにしました。 また、店先では、カボチャやトマト、スイートバジル、ローズマリーなども育てています。 この6月、渋谷の畑で育ててきた小麦を、ジョンさんは収穫しました。刈り取った小麦は、ブーケのように束ねて、「GREEN THUMB」の店内に飾ってあります。
現在二代目の小麦が、渋谷の畑ですくすく育っています。壁面や店先で採れた野菜やイチゴ、ハーブは、「GREEN THUMB」のパンに使われます。収穫できる作物は少量かもしれませんが、夢のあるパンを提供しています。

小麦畑の近くに、カフェを作るのが夢

Photo by 濱口太

ところで。 澤登先生が、初めて杉窪さんに会ったとき、小麦を作ってみたいという話のほか、もうひとつ別の話をしてくれたそうです。 「近い将来、小麦や野菜を栽培しながら、畑の近くでカフェをやりたい。……そんな素晴らしい夢も語ってくれました」(澤登早苗先生) パン職人が、なぜ小麦を育てようと思ったのか。 筆者がその理由を尋ねたところ、開口一番、「僕は完璧主義だから」という答えが帰ってきました。
「きれいなパンを作ろうと思ったら、パン生地をきれいに成形しなければなりません。それには、生地をきれいに丸める必要がある。そのためには、生地をきれいに切らなければならない。……というように、完璧なパンを作ろうと思うと、原材料に行き着きます」(杉窪章匡さん) だから、小麦を栽培したいと考えていたと言うのです。

Photo by 濱口太

近い将来、小麦畑の近くでパンを提供するカフェを開く。そのための実験として、今年は小麦を育てました。 「スタッフに農業を勉強させたい思いもあったし、スタッフが業務時間内に農作業ができるかどうかを試す実験でもありました。今回小麦を選んだのは、人手と手間がかからないから。実際小麦は、思った以上に手間がかかりませんでした」(杉窪章匡さん) 次のステップとして、もう少し手間のかかる作物を少しずつ作っていこうと考えているそうです。

Photo by 濱口太

「来年はライ麦を栽培しようと思っています。600坪の畑で小麦を栽培しても収穫量が少なすぎます。むしろライ麦のほうが、うちとしては需要があります」 小麦を収穫する直前、杉窪さんは、小麦畑の片隅でナス、インゲン、アーティチョーク、バジルを育てはじめました。この野菜栽培も、将来を見すえた実験だそうです。 「憧れだけでオーガニック栽培をやっている人がいます。でも、ビジネスとして成立しなければ、続けられません」 「僕の商売の基本方針は、健全経営が大前提」と、杉窪さんは自著『「365日」の考えるパン』に書いています。 「僕の究極の目標は世界平和。健全な経営でなければ、仕事を続けられません。そのための実験として小麦を栽培しました」(杉窪章匡さん)
杉窪さんが考える世界平和とはなにか。 食べ物が健全な心を身体を作るというのが、杉窪さんのポリシー。そのためにオーガニックや自然農法で野菜を育てている40軒以上の農家と契約しています。一定の量を定期的に仕入れることで農家も安定した作付けを行えるし、収入も安定します。  「『365日』はパン屋ですが、自分の足元だけではなく、たとえば日本の農家さんたちのことも、世界のことも、地球のことも…広く俯瞰したいと思っています(中略)自分の仕事がどうしたら世界に貢献できるか、パン屋もそういう視点でありたいです」(杉窪章匡著『「365日」の考えるパン』)
「365日」のパンと、安心安全な野菜を使ったカフェ「15℃」の料理を食べてもらうことで幸せになってほしい。農家にも幸せになってほしい。スタッフにも幸せになってほしいから、業務時間内に農作業に従事してもらうし、サービス残業もなし。
杉窪さんのパンや料理が大好きな人は、杉窪さんの「農家カフェ」を待ち望んでいるのではないでしょうか。杉窪さんのことなので、〈ふつうのカフェ〉にはならないはず。 世界平和のために、ワクワクするようなことをやってくれるに違いありません。  「みんなの幸せが社会貢献にもつながり、ひいては世界平和にもつながるはず。そうすれば僕も幸せです」(杉窪章匡著『「365日」の考えるパン』) 世界平和を目指す杉窪さんは、もっと先を見すえた夢も語ってくれました。でも、それはまた別の機会に。
取材・文:中島茂信
※掲載情報は記事制作時点のもので、現在の情報と異なる場合があります。

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