ライター : とも

子育てフードライター

おせちに数の子を入れる意味

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おせちには、縁起やゲンを担いだ料理が多く用いられます。数の子は、小さな卵がぎっしりと集まっている様子から「子孫繁栄」の意味が込められているんですよ。

同様に、ニシンの卵であることにちなみ「二親(にしん)」とかけて「二親=ふたりの親」からたくさん子どもが生まれるように、という意味もあるとされています。

また、数の子独特の黄金色から縁起が良い食べ物としておせちに使われるようになったともいわれています。

数の子は「祝い肴(いわいざかな)三種」のひとつ

Photo by きたやまあさみ

祝い肴(いわいざかな)は、祝い膳で出されるお酒の肴です。おせちでは子孫繁栄や不老長寿、豊作を意味する3品が出されるのが一般的。関東では「数の子・黒豆・田作り」、関西では「数の子・黒豆・たたきごぼう」が祝い肴三種とされています。

なお、祝い肴は「壱の重」として栗きんとんや伊達巻き、昆布巻きなどと一緒に詰めますよ。

日本で数の子が食べられるようになった時期と歴史

室町時代の文献に登場

数の子について記されたもっとも古い文献は、室町時代の『山科礼記(やましならいき)』です。天皇の用度係として仕えていた山科家が京都で数の子を購入したことや、13代将軍の足利義輝に数の子を献上したという記録が残っています。

お正月に食べるようになったのは江戸時代から

室町時代には流通量が少なかった数の子が、時代を経てしだいに各地に流通するようになりました。庶民がお正月に数の子を食べるようになったのは江戸時代。8代将軍の徳川吉宗が「正月だけは、富める者も貧しい者も同じものを食べて祝ってほしい」と、数の子を推奨したといわれています。

徳川吉宗は倹約を進めたことで知られていますが、当時はニシンが現代よりも多く漁獲され、比較的手に入りやすかったことも理由のひとつとされています。

1900年代までは干したものが主流

現在主に流通している塩漬けの数の子が製造されるようになったのは、1900年代。それまでは冷蔵技術が発達していなかったため、天日干しした数の子が一般的でした。
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