ライター : Terry Naniwa

編集・企画・ライター

「さつまいも」は貴重な嗜好品?

約400年前に伝来したと言われているさつまいもは、沖縄をはじめ南西諸島の島々ではお米や麦の栽培が不安定だったため、早くから救荒作物として重要な位置付けでした。しかし、本土ではまだまだ珍しい食物で、一部の人たちの口にしか入りませんでした。この当時(1600年代初頭)はまだ砂糖も普及していない時代で、さつまいもがもつ強い甘みに注目が集まり、貴重な甘味の嗜好品として、武士中心の支配階級や豪商などの富裕層に独占されていたようです。

飢饉を救う作物として薩摩から拡がった「さつまいも」

1700年前後の江戸時代中期、日本ではしばしば全国規模で大飢饉が発生し、数多くの人々が食糧不足に苦しめられました。その救荒作物として、薩摩藩(現在の鹿児島県)はいち早くさつまいもの栽培を熱心に取り組み藩内の人々を餓死から救いました。やがてその成果が全国に伝わり、江戸幕府も将軍自らの指揮で飢饉対策の切り札として栽培を奨励するなどの普及活動が盛んになりました。歴史の教科書にも登場する青木昆陽らがそれに取り組み、主食(お米)の代用品として定着していったのです。

そして薩摩から広まった芋という謂れから、いつしか「さつまいも」と呼ばれるようになりました。

主食、副食、おやつ、多様な用途に使われたさつまいも

Photo by macaroni

江戸時代、人々を苦しめた大飢饉から多くの命を救ったさつまいもですが、主食の代用品としてばかりではなく、お菓子からお酒(焼酎)の原料まで、多様な用途に利用されていきました。この頃ようやく普及してきた砂糖を使ったお菓子は、まだまだ江戸や京、大坂などの大都市圏と一部の支配階級のもので、さつまいもの甘さが庶民の大切な嗜好品であり、日本の甘みを牽引していたようです。

当時の料理書を代表するひとつ『甘藷百珍(いもひゃくちん)』には、なんと120種類以上のさつまいもレシピが記載されています。ひとつの食材で、それだけ多様な食べられ方をしていたさつまいもは、単なる救荒作物でなく、この時代の日本の“食”をバラエティ豊かに彩っていた、大切な食材だったと言えるでしょう。

江戸時代から昭和まで、甘味の主役は「石焼いも」

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おうちで「さつまいも」の甘さを実感できるレシピをご紹介しましょう。

昭和の頃までは「石焼いも」を自転車や軽自動車で販売する光景がよく見られました。最近ではお目にかかることがほとんどありませんが、さつまいもならではの甘味を満喫するなら何と言ってもこの食べ方でしょう。

さつまいもに多く含まれているでんぷん分解酵素β-アミラーゼ。さつまいもを加熱すると、このβ-アミラーゼがでんぷんに作用し、麦芽糖に変化させることで甘みが増します。特に石焼いものように適度な熱量でじっくり加熱する方法は、麦芽糖への変化を増幅するため、より強い甘さを生みます。逆に電子レンジなどで短時間に高温加熱する方法では、β-アミラーゼの作用が損なわれ、甘みが抑えられてしまうのです(※1)。

そして9月~11月に数多く収穫される「さつまいも」は、貯蔵され水分が少なった今の時期(2月~3月)にもっともおいしい食べ頃を迎えます。その食べ頃のさつまいもで、最高の甘さを味わいましょう。

作り方

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1. さつまいもをしっかり水洗いし、表面の汚れを落とします

2. キッチンペーパーなどでていねいに水気を拭き取ります

3. 調理用に適した小石を鍋に敷き詰め、火にかけて小石を予熱します

4. さつまいもを小石の上に並べ、弱火で約1時間加熱します
※加熱の際は鍋の蓋をしっかり閉めておくこと

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5. 加熱中は10分毎に蓋を開け、さつまいもを裏返し、全体をムラなく加熱します(約1時間の加熱として6回程度の裏返しを目安に)

6. 加熱終了後、火を止めて、余熱で蒸らします(蓋はしっかり閉めておく)

江戸時代の料理書にチャレンジ!「加須底羅いも」

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「加須底羅(かすていら)いも」は、江戸時代の料理書を代表するひとつ『甘藷百珍』(1789年)のなかで紹介されているレシピです。大坂の珍古楼(ちんころう)主人という一風変わったペンネームをもつ人物が著したとされています。

さつまいもをすりおろし、藷精(いもでんぷん)を少し混ぜ、そこに鶏卵と砂糖を等分に加えてから、焼き鍋で上下を焼き、仕上げにけしの実を香りづけで添えると記載されています。至極、簡単な紹介ですが、調理方法もシンプル。材料と名前から判断すると、当時のスイーツのようです。次はこの江戸時代のスイーツにチャレンジしてみましょう。

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