酸っぱい……でもおいしい!「のし梅」の後引く味わいは職人の努力の賜物

甘酸っぱさが後引く「のし梅」。縁日で見かけるたびに買ってしまう人、意外と多いのではないでしょうか。ところで、そんなのし梅が実は山形の郷土菓子だってご存じですか?この記事では、知って驚きの。のし梅に関するあれこれをご紹介します。

2019年2月28日 更新

のし梅とは?

みなさんは縁日などでよく見かける「のし梅」ってご存知ですよね。お祭りでしか食べられない駄菓子と思っている方もいるかもしれませんが、実はあれ、もともとは山形や水戸の名物菓子。現在も大工場でのオートメーションではなく、ほぼ手作業で作られているんですよ。

この記事では、そんな「のし梅」を徹底解剖しちゃいます。

山形県の定番土産として人気の郷土菓子

梅と言えば水戸が有名ですが、山形の村山地方も梅の栽培が盛んなところ。山形のエキナカのキヨスクを始め、お土産を扱うショッピングモールならどこでも、この「のし梅」をおいています。山形県におけるのし梅は、それくらい「定番」のおみやげです。

竹の皮の風味と一緒に梅の酸味を

「のし梅」は現代の観光地のおみやげのように派手なビジュアルではありません。和紙風のパッケージと竹の皮に包まれた、寒天状の琥珀色をしたお菓子です。

「のし梅」がなぜ琥珀色をしているかというと、梅のエキスがたっぷりと含まれているから。クエン酸豊富な梅を、昔ながらの製法で寒天で固めているので、酸っぱさの中にもほんのりした甘さがあり、くどくないさっぱりとした風味です。

のし梅の発祥と歴史

山形発祥、でも水戸の郷土菓子でもある

のし梅の始まりは、昔、最上義光公が山形城主だった頃のこと。御典医だった小林玄瑞が長崎での遊学中、中国人から梅を原料とした秘薬の製法を伝授され、それを「気付け薬」として山形に持ち込んだものが始まりだとか。

そして、それを食べやすいお菓子として売りだしたものが「のし梅」。このことにより、のし梅の元祖は山形であり、文献に残る最後の一軒がこの「佐藤屋」だと言い伝えられています。

一方、水戸の「のし梅」は、明治になってからできたもの。当時の県知事が、水戸光圀公や斉昭両公が植えた数千本の梅を観賞するだけでなく、味わえるものをつくったらどうか?と進言したことがきっかけで作られるようになったそうです。

のし梅本舗佐藤屋が発祥

のし梅の発祥は、文政四年(1821年)に創業した山形の菓子本舗「佐藤屋」だといわれています。

その本店は山形市の駅から歩いて数分のところにある十日町という場所にあり、現在の店主で8代目。店構えはどっしりとしていて、昔ながらの菓子本舗といった風情があります。

昔ながらの製法による「のし梅」の味を守り続ける一方で、生チョコとのし梅を組み合わせた「たまゆら」(夏場は製造中止)や、モンテディオ山形の応援のための寒天菓子など、現代風にアレンジした商品も販売しています。
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