ライター : Terry Naniwa

編集・企画・ライター

「すき焼き」の祖先は「魚すき」!?

「すき焼き」の語源は、獣肉を鋤(すき)の上で焼いた料理からとする説、杉の薄板に食材をはさんで焼いた杉焼きが転訛したとする説、魚肉のすき身焼きからとする説など、諸説紛々。調理法から遡れば、その基となったのは今も関西に残る「魚すき」だという説が有力です。江戸時代後半の料理書『素人包丁初篇』(1803年)には、「京・大坂の上方では唐鋤(からすき)やタイラ貝ではまちを焼き、醤油、大根おろし、唐辛子を薬味とした料理が好まれている」と記されています。

江戸を中心とした東日本では、この「魚すき」スタイルに魚を使わず、雁や鴨、鹿などの鳥獣肉を用いていたようです。そして「鋤焼き」という表現も、1832年の料理書『鯨肉調味方』のなかに、「鋤焼きとは、古き鋤のよく摩(すれ)て鮮明なるを、熾火の上に置わたし、それに切肉をのせて焼をいふ、鋤にかぎらず鉄器のよく摩て鮮明なるを用ふ」とあり、この頃から「すき焼き」という言葉が使われていたことがわかります。

福沢諭吉も食べていた幕末の牛鍋

黒船来航から開国へと歴史が大きく動き出した幕末。欧米の外国人が日本に駐留するようになると、牛肉が食用として扱われるようになっていきました。慶應義塾大学の創始者で一万円札でもお馴染みの福沢諭吉は、1855年に大坂で緒方洪庵が蘭学を教える適塾に入学した頃の思い出として、「そのころ大坂で牛鍋を食わせるところはただ二軒であり……」と自伝『福翁自伝』に記しています。

牛鍋とは、牛肉とねぎを一緒に鍋に入れ味噌あるいは醤油で煮た料理で、「牛肉はずいぶん硬くて臭かった」と当時の感想も伝えています。このように幕末から明治維新にかけて牛肉を食べる風潮が少しずつ拡がっていきました。

関東の「牛鍋」、関西の「すき焼き」

明治元年(1868年)、横浜に『太田なわのれん』が開業し、浅い鉄なべを用いて角切りの牛肉とねぎを味噌で煮る料理の提供を始めると、文明開化を代表する食べ物として人気を博し、「牛鍋」ブームが巻き起こりました。明治10年(1878年)の東京には牛鍋屋と牛肉を販売する店が合わせて558軒もあったという盛況ぶり。『太田なわのれん』は150年以上もその伝統を守り、牛鍋が楽しめる名店として今も牛肉好きの舌を喜ばせています。

一方関西では、『太田なわのれん』開業の翌年に、神戸に『牛肉すき焼き店・月下亭』が開業。魚すきの調理法を継承した、牛肉を焼いてから醤油や砂糖で味付けする関西風「すき焼き」スタイルが、大阪・京都と関西一円に広まっていきました。東は横浜、西は神戸と、開国後に欧米人が多く駐留したエリアから日本の牛食文化が芽生えたということでしょうか。

宗教家・探検家で、昭和初期の食通を代表するひとりであった大谷光瑞は、その著書『食』(1931年)のなかで、本当のすき焼きとは、(1)扁平な鍋を使う、(2)油脂以外は鉄板の上に液汁は加えず、(3)牛肉が炙熟したら碗の中の調味液(卵液)に浸し食す、(4)牛肉がなくなってから野菜などを入れ牛肉の液汁と油脂で煎る、と関西風の調理を記しています。牛鍋スタイルの関東は煮る、すき焼きスタイルの関西は焼くという調理法の違いも興味深いところです。

牛鍋とすき焼きの融合が生んだ「割り下」

大正12年(1923年)の関東大震災で東京が壊滅状態となり、飲食店の大半が潰れてしまったあと、関西から多くの店が関東エリアに進出。その過程で関西風すき焼きも伝わり、牛鍋の良さを組み合わせた今の関東風すき焼きのスタイルが構築されていきました。味噌で煮込むスタイルが、醤油・味醂・砂糖・酒などで調えられた煮込み用の液汁「割り下」に変化し、卵液に浸して食べるという関西風が加わって、私たちが慣れ親しんでいるすき焼きができ上がっていったのです。

この割り下で煮込むスタイルは、その簡便さから一般家庭へのすき焼きの普及を加速させ、戦後の高度成長時代には、おうちで食べるご馳走の代名詞となりました。その味は海外、特にアメリカで大評判となり、富士山と並んですき焼きが日本のイメージとして定着。1960年代に大ヒットした坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)の英語タイトルが「SUKIYAKI」になったほどのインパクトを与えました。

関西にも広まっていった割り下

やがて、割り下で煮込む関東風すき焼きは、牛肉を焼いてから味付けをする関西風を凌駕する存在となりました。前もって味を調えられた割り下を使えば、煮込み過ぎにさえ注意すれば、誰もが手軽においしいすき焼きを楽しめます。一方、関西風すき焼きは、牛肉の味付けをていねいに調え、その肉汁と野菜から出る水分で全体の味を完成させていくため、調理に手間と慣れが必要です。おうちでおいしいすき焼きを楽しむには、家族のなかに熟練の鍋奉行の存在が必要不可欠でした。

昭和から平成に時代が移り核家族化が進むと、関西でも割り下の需要が増えていきました。牛肉を鉄鍋でジュウジュウと焼き、醤油・砂糖・酒などを名人芸のように加えて味を調える関西風は、専門店で仲居さんに調理してもらえるならうれしいですが、おうちで自分でやるとなると面倒……。そうした思いが、割り下に移行していった要因のようです。

今では関西のすき焼き専門店でも割り下を使う店が数多くあります。そして関東と同じように関西の食品スーパーや牛肉販売店にも割り下がバラエティ豊かに並び、各家庭のお好みの味ですき焼きが楽しまれています。その関西で牛肉好きに“この1本”と愛用されている割り下があるのをご存知でしょうか。すき焼きファンなら知っておいてほしい1本です。

京都発!牛肉好きの関西人の舌が認めた割り下

「関東は豚肉、関西は牛肉」と言われるように、牛肉に対する想いは関西のほうが強い傾向があります。加えて、うどんつゆの好みを見てもわかるように、濃口醤油と鰹節中心の関東、薄口醤油と昆布を使う関西と、味の嗜好は大きく違います。そこが日本の食の楽しい点で、多様な地域性をもつ、世界に誇れる食文化を形成しています。

必然、割り下も関東の好みの味と関西の好みの味は微妙に異なります。昆布ベースの出汁と薄口醤油が主流を占める関西で、牛肉ファンの御眼鏡にかなったのが、京都・宇治の調味料メーカー『ユーサイド』の「すき焼のたれ」です。

原材料を確認すると、国産の丸大豆本醸造醤油をベースに、砂糖、味醂、清酒、昆布エキス……と、確かに関西人が好む昆布が使われています。ただ関東で人気の割り下を手に取って確認すると、こちらにも昆布が使われています。では昆布以外に、関西の牛肉好きの舌を掴んだ秘密は何なのか。メーカーにお話を聞いてみることにしました。

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