ライター : macaroni 編集部

分とく山 野﨑洋光さんの料理人人生とは

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macaroniの連載、「『分とく山』野﨑洋光さんの料理メソッド」でおなじみの、日本料理人、野﨑洋光(のざきひろみつ)さん。

20歳で料理の世界に飛び込み、30代で「分とく山」の総料理長に。以降、日本料理界のトップを走り続けてきた野﨑さんですが、若いころには大きな挫折もあったと言います。

今回は、野﨑さんの料理人としての出発点から、常識にとらわれない独創的な調理法のルーツ、「分とく山」への思いなどをお話しいただき、その知られざる料理人人生に迫りました。
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自分の店を潰し、すべてを失った27歳

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ー料理人を目指したきっかけを教えてください。

野﨑さん(以下、野﨑):もともとは、腎臓病の姉のために栄養専門学校に進んで栄養学を学んでいたんです。しかし、姉は僕が入学して1年目に他界してしまう。目標を失ったまま卒業の時期がきてしまい、これからどうしようかと悩んでいたときに、担任の先生に紹介されたのが料理人の仕事でした。

はじめて働いたのは、吉祥寺のカニ専門店。朝の9時から夜中の3時まで働き、休憩中に仮眠をとるような生活でした。昔だからきつい修行が当たり前という訳ではなく、当然、仲間はみんな逃げて行きましたよ(笑)ただ、きつい修行は理にかなわない人にとっていれば悪ですが、理にかなっていれば学びの機会です。

僕の場合は、尊敬する先輩のうしろ姿を見ながら、「こうならなければいけない」と常に自問していた。学ぶものがあったから、楽しかったんです。
ー順風満帆な料理人人生に思えますが、大きな挫折はありましたか?

野﨑:27歳のころに自分の店を持ったのですが、人間関係のトラブルや接客の未熟さなどが原因で、半年で潰してしまった。修行時代に貯めた貯金はすっからかんで、彼女にも逃げられ、ヘルニアを発症して3ヶ月ほど仕事もできなかった。ドラマみたいな話でしょう(笑)

そんなときたまたま、「料理長をやらないか」と声をかけてくれたのが、ふぐ料理の「とく山」。そこでゼロから再スタートしたのです。

ふぐは秋から春にかけてがシーズンですから、半年間は繁忙期が続く。しかも、店は年中無休です。若手ふたりでそんな日々を乗り越えていたら、半年ほどですっからかんだったお金が100万円ほど貯まっていて、精神的にも余裕が生まれてきました。

その後、9年間「とく山」の料理長を務めたのち、総料理長として現在の「分とく山」を開店し、現在に至ります。「とく山」で必死に働けたのも、挫折があったからこそなんです。

「あたりまえ」の背景にある文化を学ぶ

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ー「分とく山」では会席料理を提供されています。それまでのお店とは異なるスタイルを選んだ理由を教えてください。

野﨑:「陰陽五行説」「花鳥風月」といって、古くからの日本料理には、切り方から盛り付け方までひとつひとつの工程に理由があり、料理全体のバランスも意味を持ちます。これを表現できるのが、コースで提供できる会席料理だったんです。

ただ料理をすればよいわけではなく、日本文化を歴史、科学、数学、文学、美術まで、深く学んでこそ表現できるのが、会席料理の奥深さであり難しさですね。
ー料理の背景にある文化に目を向ける必要があるのですね。

野﨑:たとえば、「関西は味が薄く、東北は味が濃い」と言いますよね。その理由を聞くと、みなさん「東北の方が寒いから」とおっしゃるんです。これ、実はおかしな話で、塩分はそもそも気温の高い地域にこそ必要。汗で体が塩分を欲するし、冷蔵庫ができる前の関西と東北では、気温が高い関西のほうが、塩蔵の必要性が高いでしょう?

じゃあ、どうしてこうなったか。ひとつは、京都料理は薄味が主流になった近年に発展した、比較的新しいビジネスだから。もともと京都は、たまり醤油といって、熟成期間が長い、濃い味の醤油を使う文化なんですよ。

ふたつめに、東北の味が濃いのは、凶作と震災を繰り返している歴史があるから。東北の人は、昔から凶作や震災に備えて塩蔵してきたために味が濃いんです。一方で、冷蔵庫がいらない気温で、フレッシュなものを食べられる土地柄、薄い味付けの文化もあった。

料理は、その土地で発展してきた理由があって、その味になっている。それを知らずに、当たり前とされている情報を鵜呑みにしていると、「陰陽五行説」、「花鳥風月」は表現し得ないんです。

「人もうけ」に救われてきた31年。「分とく山」への思い

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ーこのコロナ禍でも、「分とく山」が人気店でありつづける秘訣はなんでしょう。

野﨑:僕は、料理界で言えば地方馬。エリートコースを歩んできたわけでもなければサラブレットでもない。それが、「分とく山」の総料理長になって、31年です。

今までやってこられたのはひとえに、自分を育ててくださったお客様がいるから。なかには40年来のお客様もいらっしゃいます。

コロナ禍においても、ほかの店が「苦しい、苦しい」と言うなかで、僕らは常連さんの力で例年通りの状態に戻ってきている。ありがたいことに、先月においては前年の売り上げを上回っています。

僕は金儲けは下手だけれども、苦しいときに支えてくれる「人もうけ」はしてきたということ。「人もうけ」だけしてきていれば、商売って成り立つんです。
ー野﨑さん流の「人もうけ」とは?

野﨑:お客様と信頼関係を築くということじゃないですかね。若いころは、はたから見たらきつく聞こえるような意見もたくさんいただきました。「味が濃いから休め。まずいぞ」と言われたこともあるし、「お前はガサツだからお茶を習いなさい」と言われたこともある。

そんなとき、お客様に指摘されたことを妥協して受け入れるのではなく、よりよくするためのアップデートと捉えて実践したのです。きちんとお客様の要求に応えていれば、「こいつだったら俺の意向を汲んでくれるな」という信頼関係が生まれてくる。その積み重ねのうえで、技術や知識があり、すべてを包括して自分の料理になっていくわけです。

お客様の信頼に応えるためには、常に勉強しつづけなくてはいけない。本を書いたり、料理教室をやっているのも勉強の一環です。できるから人に教えているんじゃない。人に教えることで僕が勉強できるということなんですよ。

変わらないスタイルに時代を写して

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ー野﨑さんが、料理をするうえで大切にしているポリシーを教えてください。

野﨑:僕が一番大切にしているのは「不易流行」。変わらないものを芯に持ちながらも、時代に合った変化を取り入れていくことです。

時代が変わり、物流が変化すれば、人々の味覚だって変化する。そんななかでも、コロコロと格好を変えるんじゃなく、しっかりと自分の足元を見つめ、時代に流されるのではなく、時代に合った料理を出していく。

もうひとつ、僕は普通のものを普通らしくということを大切にしているんです。普通らしさとは、地に足をつけて生きていくことだと思うんですよね。

たとえば、「分とく山」では開店以来、一律15,000円のコースを続けてきました。この15,000円というお値段、安いと言ってくださる方もいますが、僕は決して安くないと思う。

ひと月に飲食店で、15,000円って、何回使えるでしょうか。月に1回だとしても、大変なことですよ。

お客様にそれだけのお金をもらっているからこそ、安くない食材を使えるということなんです。その気持ちを持ちながら、これからも僕らのスタイルのなかで、時代に合ったお料理を提供していきたいですね。

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ーたくさんのレシピ本を出されている野﨑さんですが、料理上手になりたい人にアドバイスはありますか?

野﨑:まずは、とにかく経験を積むことです。やってみて、失敗したなと思ったら、次にまた別の方法を試してみる。

そして、自分が食べたいように食べることです。「料理はこうじゃなきゃいけない」なんて、誰が決めたの?という話。自分がこうしたらおいしい、と思うやり方でいいんです。だって、おうちで食べるわけですから。自分の食べ方を見つけるためにも、たくさん経験を積んでください。
ー野﨑さんにとって、料理人とはどんな仕事ですか?

野﨑:人を喜ばせられるいい仕事ですよ。おいしいものを食べれば、みんなニコッとしてくれる。沢山の笑顔を見られるっていいじゃないですか。

こんなふうに好きなことをして、お金を持ってきていただいて、そのうえ「俺の料理をもっと褒めろ」なんていやらしいことを言う(笑)こんないい仕事、ほかにないですね。

もちろん、辛いことだってあったけれども、そのなかで楽しみを見つけることができたらなんでもできるんです。みんな仕事が悪みたいに思っているけれど、愚痴を吐いていてもなんにもならない。隣の芝生が青く見えたら、自分の庭を青くすればいいんですよ。

どんな状況でも、学ぶ楽しみを見出していく

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挫折や苦悩のなかでも学ぶ楽しさを見出し、常に前進し続けてきたという野﨑さん。

「楽しみを見つけることができたらなんでもできる」という言葉からは、料理という枠を超え、仕事や人生と向き合うための大切なヒントをもらえました。

撮影中、野﨑さんに休日の過ごし方を伺うと、「庭いじりや部屋の模様替えをしています。やっぱりクリエイティブな作業が好きなんですよ」とおなじみの笑顔。

これまでの常識にとらわれず、時代に合った柔軟な発想で表現される野﨑さんの日本料理は、日常や仕事を楽しみながら学びを得て、進化しつづける野﨑さんの姿そのものでした。

文/原田さつき
写真/植松富志男(macaroni 編集部)
編集/大河内美弥(macaroni 編集部)

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