ライター : dressing

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Summary

1.新橋のディープエリアの大衆酒場『青樹』
2.亡くなった大将がつくりあげてきた「想い」と歴史
3.それを継ぐマダムの「気持ち」とこだわり

店は大将からマダムへ。大衆酒場『青樹』の想い【酒旅ライター・岩瀬大二】

友人に紹介されてから15年、新橋のディープエリアで本拠地にしていた大衆酒場、炭火やきとりともつ焼き屋の大将が亡くなった。2019年の年末だった。 ひと昔前で言えば大往生かもしれないけれど、今の時代ならまだ若いといってもいい年齢だろう。噂には聞いていたがしばらく体調は悪かったらしく、声も出ていなかったという。でも私たちの顔をみつければ、元気な笑顔で席に近づいてきて、右手を軽やかに上げて「やぁ」と声をかけてくれていたからその実感はなかった。
私でさえこれなら、もっと足繁く通う常連客の前ではもっと無理をしていたかもしれない。無理と書いたが、どうやらそれが大将にとっては幸せな時間だったようだ。マダム(と勝手に呼んでいる長年ここで働くリーダー格の女性)によれば、やはり体調は悪く、大将もその先を自覚し、お店の今後についてもいろいろ手配をしていたという。大将の家族も覚悟はしていたようで、そんな中でも、客の前では変わらぬ笑顔でいたいといって、店に出ていた。いつもの店先、ビールケースを積んだ、勝手に私が「新橋オープンテラス」と呼んでいたところに、通りゆく人を見ていたその場所に、自身の死期を悟りながら笑顔で座っていた。

飲食店の人たちとは出逢いと別れの連続

亡くなってからマダムにいろいろなエピソードを聞いた。亡くなってからのほうが大将の人となりに触れ、素顔を知るというのも皮肉なものだ。後悔、という言葉が胸を少し痛めながら、生ビールをその胸に流しながら聞く。いわゆる赤ちょうちん、新橋の大衆居酒屋、もつ焼きの煙。そこからは想像もできない、粋でダンディなこだわりがあった。
若いころから大型バイクを乗り回し、亡くなる直前まで店先でピカピカに磨き上げていた。靴にこだわり、いつも靴はピカピカに磨きあげなきゃいけないと言っていた。新橋のディープエリアの大衆酒場と繰り返し書くが、それでもこの店は不思議な清潔感があったのはそういう理由があったのか。木目の壁はいつだって磨かれてきれいだった。そういえば、店に飾ってある往年の名レスラー、スタン・ハンセンの立派なサイン看板。どうしてこれがあるのかも大将に聞けないままだった。今、大将の遺影はそのサインの前にある。
この店に通い続けたのは、ひとつには大将やマダムの存在があった。あとからエピソードを聞いたぐらいだから、普段、特に長々と話すわけでもないし、深い話などは一度もすることはなかった。一言、二言。それでも笑顔と「やぁ」の声でよかった。この店は隅々まで大将のこだわりとマダムの切り盛りがあって、いつも頼む「マグロのぶつ」、「オニオンスライス」、「つま恋キャベツの漬物」、そしてタン、ハツ、カシラにシロのもつ焼きにもそれは現れる。だからそれがあれば、満足だ。たまに注文するつまみ用の肉野菜炒め「いろいろ炒め」もいい。 酒場の良さを見極めるひとつの方法は、だれがその店を体現している人なのかを知ることだ。飲食店のスタッフとは出逢いと別れの連続。レストランならオーナーシェフやオーナーソムリエでもなければ、そこで迎えてくれる人はどんどん変わっていく。それは当たり前のこと。若手シェフなら自分の夢に向かって渡り歩く。外食産業に新しい価値をもたらす会社が経営する店であれば、そのスタッフはいろいろな業態を渡り歩き、いつかその会社で出世し、また新しい業態に挑んでいくことだろう。それでもいい酒場、いいレストランには、その人たちが表現してきたこだわりや私たちに対する「気持ち」が続いていく。それならば彼らがいなくなってもその店に通い続ける価値はある。 まして、その店の軸となる人がそこに居続けてくれれば、その店に通い続ける意味は深まる。バイト君が卒業していく、焼き場のスタッフが腕を磨き独立していく。それが幸せな別れになり、また新しいバイト君や野心あるスタッフとの嬉しい出逢いになる。繰り返すが、それは、それを守る人がいてこそだ。この大将で、そして最初に訪れた15年前にこのマダムがいて、それが続いてきたから私はここに居る。

大衆酒場の想いを継ぐということ

大将が亡くなったと聞いて、不安に思ったのは、この店は今後どうなっていくのだろうか、ということだった。大衆居酒屋だが、1999年の開業以来、常連にも支えられ、また居心地よく開放的な雰囲気といわゆるコスパの良さにひかれて新しいファンも開拓しながら、次第に店は大きくなり、現在は3階建て、席数もカウンター、テーブル合わせて100席は超える店になった。ディープな場所ながら、いや、だからこそ賑わいの途切れない好立地でもある。そうなると、大手の外食産業や、全国どこの駅前にでもありそうな看板、もしかしたら土地だけを目当てにしたブローカー、どんな条例があるかはわからないが、建て替えでここには不要なお色気系ビルへの立替さえもあるかもしれない。
救われた。店はマダムが継ぐことになった(写真上・左)。最初大将に告げられた時は不安というよりも「無理」と思ったという。マダムはミャンマーの出身だ。日本語もままならない、右も左もわからない中で、20年ほど前、はじめて日本で働いた場所がここだった。大将はそのときもやっぱり笑顔だった。「大丈夫だよ。なんとかなるから」。なんの根拠があったのかは今となってはわからない。でも、根拠はあったのだろう。彼女の働きのおかげで、代々、ミャンマーから来た女性たちがここで働き、巣立って言った。タコブツ、豚バラ、ホッピー白の中お代わりに、緑茶ハイなんて言葉を理解し、元気な声で呼びながら、日本を覚えていく。大将は決して怒らず、注意するのはマダムという役割が出来上がって、この店の色ができてきた。 「私が継ぐことを嫌だと思うお客様もいると思う」とマダムは少しため息をつく。それを大将にも言った。でも答えはあの時と一緒。「大丈夫だよ。なんとかなるから」。 今まで見たことのない店の通帳や発注書、機材が故障した場合の連絡先が書かれたメモ。そのどれもがマダムには不安要素でしかなかったけれど、でも、気合を振り絞った。大将への恩返し、長年応援してくれた客の期待に応えてこの店を、大将の店を続けていく。国籍も性別も、家族か家族じゃないかなんて関係ない。この酒場が私たちの酒場である理由はそんなところにはない。理由はそんなところにはないと思える人が集っている酒場なのだから。
特別な酒があるわけではない。初めて来た人にとっては特別な食があるわけでもないと感じるだろう。でも、やっぱりこだわりがあって、それを守ってきた歴史がある。もつ焼きはやわらかいものと歯ごたえのあるものと。飽きさせないタレ、意外と言っては失礼だがお気に入りの産地にこだわる食材。とにかく気軽に楽しんでほしい。その心意気と粋なこだわりと。それが変わらずここで続いていく。訃報は献杯を経て、新しい楽しみに続いていく。 死期を悟ったであろう時期。大将は理由を言わずに軒先の改修をしたという。この店を継いでくれる20年前から育ってくれた人のために、今できること。粋なこだわりを、これからも気軽に味わわせていただこう。

炭火串焼 青樹

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