「ちまき」の魅力を再発見!その歴史や名前の由来、作り方を徹底解説。

端午の節句などで食べる「ちまき」の歴史や名前の由来を徹底解説します。実はちまきという食べ物は、日本と中国で作り方が違い、さらには関東・関西など国内でもその食べ方が異なるんです!ちまきの名店やフライパンでできる簡単ちまきのレシピも掲載していきます。

2019年2月26日 更新

「ちまき」とは?

みなさんは「ちまき(粽)」を食べたことがありますか?ちまきとは、お餅またはもち米を三角形または円錐形に作り、笹の葉で包んでイグサなどで縛った食べもののこと。作ったちまきは笹の葉ごと加熱して、葉の部分をむきながら食べます。味つけはしていないので、笹の香りがついたおにぎりを食べているような味ですよね。

ちまき(粽)の歴史と由来

ちまきの起源は中国にあり

日本でのちまきは、平安時代の承平年間からすでに存在していました。ただ、日本独自で作り上げたものではなく、中国から伝わったという説が有力です。中国・楚国に存在していた政治家であり詩人であった屈原(くつげん)が5月5日に亡くなり、命日のお供え物として作られるようになりました。彼を慕っていた人々が悪い龍に盗まれないよう供物を葉に巻いて用いたのが現在のちまきの原型といわれています。

日本のちまきの変遷

日本国内のちまきはその昔、灰汁の中で煮込んで作られていました。これは、灰汁が持つ殺菌力や防腐作用がもち米の保存に適しており、江戸時代の戦が盛んに行われていたころ、武士が携帯して食べる食料として用いられていたからと言われています。

その後、ちまきは日本の各地で改良され、現在ではお餅の中にあんこを包んだり、お餅そのものの素材が変わったりと、主に和菓子へと変化。灰汁で煮込んだちまきは、匂いや風味で好き嫌いが分かれるので時代とともに廃れていきました。

「ちまき」の名前の由来

ちまきという名前が付いた由来は、もち米を包む葉の種類から来ており、今のちまきはササに包むのが主流でしたが、昔は「チガヤ」というイネ科の葉で包まれており、「チ」ガヤで「巻く」食べ物ということから、ちまきと呼ばれるようになったといわれています。

こどもの日にちまきを食べる理由

青空と5色の鯉のぼり

Photo by Snapmart

では、「こどもの日」になぜちまきを食べるのでしょうか?

童謡の「背くらべ」の中に、「柱のきずはおととしの 5月5日の背くらべ ちまき食べたべ兄さんが~」とあるように、5月5日の端午の節句(こどもの日)には、ちまきを食べる風習が日本にはあります。

この習慣が生まれた理由には諸説あるのですが、もっとも有力なのが、先ほど登場した楚国の屈原へ送った供物を守るためだったというもの。

屈原の死を悼んだ人々は命日に供物を投げて供養をするも、供物は屈原の元に届く前に龍に食べられてしまいました。そこで人々は屈原へ供物を届けようと、龍が苦手にする「れんじゅ」と呼ばれる葉で供物を包み、邪気を払うとされる5色の糸で縛ってから投げたところ、無事に屈原に供物が届いたと伝えられています。これがちまきが始まった由来とされていて、5月5日はちまきを作り、災いを除けるという風習が中国から日本に伝来しました。

ちまきが5月に食べられる理由としてもう一説あるのが、旧暦の5月はちょうど暑さが始まる時期だということ。病気にかかる人が増えるということから、ちまきを食べて無病息災を祈願するというのも始まりと言われています。

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