ライター : Terry Naniwa

編集・企画・ライター

食の世界を取材して30年余。自らの五感でセレクトした旬の情報から、次世代に残しておきたい 食の伝統などを発信中。大阪在住半世紀余、出汁の美味しさにこだわっています!

万葉のひとびとは桜よりも梅を好んだ

Photo by 石神邑

梅の原産地は中国の四川から湖南地域とされ、7世紀頃に日本に伝えられたとする説が有力です。ただ、大分県から宮崎県にかけての山地で自生林が確認されており、日本を原産とする説も残っています。

いずれにしても東アジア圏に広く分布しており、古くから生活に密着した存在でした。日本最古の歌集『万葉集』には、梅花を詠んだ歌が100首以上も。桜花の40余首よりはるかに多く、当時は桜より梅の方が人気があったと推測できます。

その梅の実が食用になったのは、鎌倉時代あたりのよう。『世俗立要集』(1694年写)には、鎌倉時代前期の武家の食膳には、碗飯(おうはん)に梅干し、打鮑(うちあわび)、「海月(くらげ)が付いていたと記されています。

喉の乾きを和らげ、保存がきく梅干しは、兵糧としての価値が高く、武士の戦陣食として珍重されました。江戸時代までその位置づけは変わらず、庶民には縁遠い存在だったようです。

梅干しが旅の難所・箱根越えの大切なお供に

Photo by 西村仁見

戦国時代に小田原城を拠点に関東を支配した北条氏は、梅の栽培に力を注ぎました。江戸時代に入ってからも小田原では梅の生産が盛んで、1796年に藩主に就いた大久保忠真は、その栽培をさらに奨励。梅干しをシソの葉で包んで風味を保ち、落としても中身は汚れないという画期的な創作食品「シソ巻梅漬け」の考案につながりました。

小田原は東海道最大の難所・箱根八里越えの拠点となる宿場町でもありました。旅人が滋養食としてシソ巻梅漬けを携帯したり、弁当の中身が傷まないよう梅干しを入れたりするうちに、小田原の梅干しの人気は高まり、庶民の間でも認知されていきました。

重税に悩まされていた農民が始めた和歌山の梅作り

Photo by 石神邑

現在の梅の最大産地・和歌山ではいつから梅の生産がはじまったのでしょうか。歴史を紐解くと、小田原で梅の栽培が盛んになった時期と重なるようです。

和歌山田辺地域の土壌は米作りに適さない、梅や竹しか育たないやせ地でした。重税に喘いでいた農民が少しでも生活の糧にと梅の栽培をはじめたところ、想像以上に生育が進み、それを知った田辺藩主もその栽培を奨励、やがて保護政策をとるまでになりました。後年の研究では、ミネラルを多く含んだ土壌や高地ならではの寒暖差などの環境が梅づくりに適していたと判明しています。

『紀伊続風土記』(1839年)には「梅各郡処処に多し、中にも海部郡仁義浜両荘の産、上品なり。霜梅(うめぼし)を多く製し出す」という記述があり、生産が賑わっていたことがうかがえます。このように江戸時代後期には、東西で梅の生産が活発になっていったのです。

日清・日露戦争と日の丸弁当

Photo by 西村仁見

時代が明治に移り、富国強兵のもと大陸進出を狙う日本は、日清・日露と大きな戦争を繰り返し、その兵糧食として梅干しの需要が大きく伸びました。また子どもたちには学校を通じ、ご飯の真ん中に梅干しをおいた日の丸弁当が奨励され、国民の間に加速的に浸透していきました。軍事的な国威発揚でその需要が高まったのは、梅干しにとっては残念な歴史かもしれません。

ただ食文化の発展という観点から見れば、梅の大量生産によって商品が開発が盛んになっていったのは意義深いものがあります。大正元年(1912年)には広島県賀茂郡竹原町の米原歌喜地が梅酒の製造に着手するなど、梅の多様な楽しみ方が創られていったのです。

戦後の停滞期から復活を牽引した南高梅(なんこううめ)

Photo by 石神邑

太平洋戦争時までは需要の高かった梅干しも、戦後の食糧難の時代にはさつまいもの栽培のために梅の木が伐採され、生産が大きく減少。その後、高度経済成長期を迎えた頃から果実類の需要が伸び、梅の栽培も急速に回復をみせていきました。

昭和50年代に入ると、食生活の多様化が進み、再び梅干しにスポットが当たり、右肩上がりの需要となりました。その人気を牽引したのが、梅の最高級ブランド「南高梅」です。和歌山発祥の南高梅が、日本の梅干しを世界に認知される食品に押し上げ、梅といえば和歌山といわれるほどの揺るぎない地位を確立しました。

「梅干し」作りは自然と人との共同作業

Photo by 石神邑

江戸時代から和歌山・田辺で梅を作り続けている石神邑。 南高梅が昭和40年に農林大臣に種苗名称登録が許可されて以来、その生産も続け、今ではほぼすべての梅干しを南高梅で作っている生産者です。そんな石神邑の井瀬(いのせ)陽介さんにお話を伺いました。

ーー南高梅とはどんな梅なのでしょうか。

井瀬さん(以下、井瀬) 表面に紅がかかるきれいな果実で、そのサイズはほかの梅とは比較にならないほど立派です。果肉が厚く、それでいて皮は薄いので、梅干しにしても口当たりが良く味わい深い。まさに梅の王様と呼べる品種です。

ーー南高梅を使った梅干し作りのポイントはどこでしょうか。

井瀬 花が咲く2月頃が一番気を揉む時期です。南高梅は自家受粉しないので、蜂などの力で受粉させる必要があるのですが、天候に大きく左右されてしまいます。穏やかな日が続けば順調ですが、花の時期に荒天が続くとその年の収穫量が大きく減ってしまう。まさに神頼みの2月と言えます。

6月の収穫の時期になると、人の手でもぎとるのではなく、自然に落下したものだけを拾い集めます。枝から離れた果実は直ぐに品質が落ちていくので、いかに早く拾うかが大切です。この時期は、石神邑の従業員は総出で、毎朝、梅林をまわり果実を拾い集めるのが日課になります。

Photo by 石神邑

ーー拾い集めた果実はすぐ塩に漬け込むのでしょうか。

井瀬  まずは水で洗浄し、ひと粒、ひと粒をしっかりと選別して、厳しい基準をクリアしたものだけを塩漬けします。約1ヶ月の漬け込みですが、その間も重石の量や塩分など細心のチェックを続け、梅が最高の状態で漬け込まれるよう見守ります。2月から完成まで、まさに自然との共同作業です。
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