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円頓寺の歴史と顔だった「西アサヒ」
「なごのや」オープン当初から営業に携わっている女将の伊熊志保さんから、貴重な情報をいただきました。
「お店を整理させていただいたとき、『西アサヒ』オープン当時の写真を見つけたんです。セピア色の写真には、タキシードをピシッと着こなしたボーイさんが写っていました。着物が主流だった時代に、洋風の正装を取り入れていたと知り、『なんてハイカラなんだ!』と驚きました」と目を輝かせて語ります。
「お店を整理させていただいたとき、『西アサヒ』オープン当時の写真を見つけたんです。セピア色の写真には、タキシードをピシッと着こなしたボーイさんが写っていました。着物が主流だった時代に、洋風の正装を取り入れていたと知り、『なんてハイカラなんだ!』と驚きました」と目を輝かせて語ります。
「西アサヒ」で使用していたソーサーを見せていただくと、今でも十分通用するおしゃれなロゴが。こうしたセンスが受け入れられる背景には、円頓寺という土地柄があったようです。
「戦時中は名古屋城に軍の施設があり、面会に訪れたご家族は、円頓寺界隈で家族水いらずのひとときを過ごしていたそうです。それはもう、すごい賑わいだったと年配の常連さんからうかがいました。ご近所の生き字引さんがいろいろ教えてくださるのも、ここならではですね」(伊熊さん)
「なごのや」オープン時も、商店街の皆さんから温かいエールがあったといいます。古いものを大切にしつつ、新しいものを柔軟に受け入れる円頓寺商店街に、新たな店舗が次々と産声を上げているのも納得です。
「戦時中は名古屋城に軍の施設があり、面会に訪れたご家族は、円頓寺界隈で家族水いらずのひとときを過ごしていたそうです。それはもう、すごい賑わいだったと年配の常連さんからうかがいました。ご近所の生き字引さんがいろいろ教えてくださるのも、ここならではですね」(伊熊さん)
「なごのや」オープン時も、商店街の皆さんから温かいエールがあったといいます。古いものを大切にしつつ、新しいものを柔軟に受け入れる円頓寺商店街に、新たな店舗が次々と産声を上げているのも納得です。
年齢・性別・国籍を超えた交流の場に
「なごのや」のそもそもの始まりは、オーナーの田尾さんがゲストハウスをつくるために、名古屋駅から近く、昭和の趣を残す円頓寺商店街に目をつけたのがきっかけ。
「宿だけでなく、前身の喫茶店を受け継ごう。そうすれば旅人は地元の日常を垣間見られるし、地元の人は旅人から新鮮な情報が得られ、きっと街に活気が生まれるはず!」と構想を膨らませてオープンを決意。
その思惑通り、「なごのや」は年齢・性別・国籍を超えた交流の場となりました。
「宿だけでなく、前身の喫茶店を受け継ごう。そうすれば旅人は地元の日常を垣間見られるし、地元の人は旅人から新鮮な情報が得られ、きっと街に活気が生まれるはず!」と構想を膨らませてオープンを決意。
その思惑通り、「なごのや」は年齢・性別・国籍を超えた交流の場となりました。
別館にドミトリータイプの宿も開業し、旅人にとってよりやさしい環境に。関東と関西の中継点ではなく、名古屋自体を満喫してほしいという、おもてなし心が込められています。
喫茶店王国、名古屋へようこそ
それぞれのお店が創意工夫を凝らし、お客と密接な関係を築いている名古屋の喫茶店。「なごのや」のように新たなストーリーを綴り始めたお店もあれば、昔ながらの喫茶店もたくさんあります。ぜひ名古屋でその魅力を体感してみてください。
店舗情報
※ 記事の内容は、公開時点の情報です。記事公開後、メニュー内容や価格、店舗情報に変更がある場合があります。来店の際は、事前に店舗にご確認いただくようお願いします。
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※掲載情報は記事制作時点のもので、現在の情報と異なる場合があります。
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