誕生当時のきびだんごは、どのようなものだったのでしょうか?

Photo by 廣榮堂武田

武田:基本的な原材料は、砂糖・水あめ・もち粉・きび粉です。使用している糖質(砂糖類)が昔と現在では多少異なりますが、主な原材料はほぼ一緒です。

形状については、誕生当時は短冊形で、その後丸形になったという、先々代による文章が弊社に残されています。

気になる桃太郎との関係は?岡山名物への軌跡

江戸時代にお茶請けとして始まった「きびだんご」。筆者がどうしても気になるのは、岡山県と桃太郎の関係性。また、岡山県の名物になったいきさつについても伺いました。

きびだんごといえば桃太郎。岡山と桃太郎は何か関係があるのでしょうか?

Photo by 嶋田コータロー

武田:よく聞かれるのですが、岡山と桃太郎の関係を示す確たる根拠は、実はないのです。一般的に知られているのは、鋳金家(ちゅうきんか)の難波金之助(1897~1973年)が温羅(うら)伝説と絡めて広めたことです。吉備地方(現在の岡山県)に伝わる鬼「温羅」を、吉備津彦命が退治しに行ったという伝説があります。

桃太郎を前面に押し出して、きびだんごの販売を始めたのいつでしょうか?

Photo by 廣榮堂武田

武田:1894(明治27年)年に始まった日清戦争のときです。当店の2代目店主・武田浅次郎が広島の宇品港に帰ってきた兵士や関係者に対し、桃太郎の衣装を身に着けてきびだんごを配り、PRしたんです。また、1904年(明治37年)に始まった日露戦争でも同様のことをおこない、この奇策といえる販売方法が大成功しました。

きびだんごが岡山名物になった契機は、山陽鉄道の開通に伴って全国にきびだんごが広まったことでしょうね。開通当時、岡山から西の区間が完成していなかった時期は、岡山が西の最終駅でした。乗降客が必ず寄る駅ということもあり、きびだんごが飛ぶように売れていたと聞いています。

Photo by 嶋田コータロー

自ら桃太郎に扮してきびだんごを売りに出た2代目店主さん。岡山名物となった始まりには、斬新なアイデアがあったのですね!

その後、廣榮堂武田以外にもきびだんごを作るお店が増え、現在では、岡山県内で約20店が作っているそうです。

鬼も仲間に!? きびだんごの新しいストーリー

記事の前半でご紹介したきびだんごのパッケージは、2018年にリニューアルされたもの。それまでも桃太郎が描かれていましたが、新しいストーリーをもった、より魅力的なものに変化したんです。

新しくなったパッケージについて教えてください。

Photo by 廣榮堂武田

武田:デザインは人気イラストレーターNoritake(ノリタケ)氏、アートディレクションは岡山の建築デザイン事務所「株式会社Cifaka(シファカ)」です。約1年かけて、デザインとコンセプトを練り上げました。

Noritake氏の、シンプルかつ特徴あるイラストが大変かわいらしいパッケージとなっています。個包装紙にも桃太郎・キジ・サル・イヌ・鬼が描かれております。

従来の“桃太郎・イヌ・サル・キジvs鬼”という構図ではなく、“融和・平和”といったストーリー性を持たせたのが特徴ですね。今の時代に合ったコンセプトと言えるのではないでしょうか。
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