広島名物になれた理由を、加藤さんご自身はどう思われますか?

加藤:一番は子供さんから年配の方まで、誰にでも食べやすいお饅頭だからだと思います。

高津堂2代目の昇が、常助のように上手に焼けなくて、常助の名を汚すということで製造をやめました。その後、もみじ饅頭を作るメーカーさんがたくさん増えたんですね。皆で切磋琢磨して創意工夫を重ね、いろいろな餡や生地が登場し、お客様の楽しみが増えたのが良かったのだと思います。

また機械化が進み、大量生産・大量販売ができたのも要因のひとつでしょうね。生産性が上がり販売コストが下がった分、購入しやすい価格になり、お客様に受け入れていただけたのだと思います。

一大産業といえる、もみじ饅頭作り

Photo by 高津堂

現在、厳島(宮島)の島内だけでも14軒のお店がもみじ饅頭を販売しています。広島県内だと、もっと多いでしょうね。

宮島観光協会に、広島県内でもみじ饅頭を作るメーカーの数をお聞きしたところ「たくさんありますので、ちょっと把握しきれていないのが現状です……」とおっしゃっていました。それほどたくさんあるということなんでしょう!まさに一大産業といってもいいですね。

味の種類も豊富になり、進化しつづけるもみじ饅頭。お土産として不動の人気を保っているのもうなずけます。

元祖を復活させた、高津堂3代目

Photo by 高津堂

2代目の時代に製造をストップしていた高津堂のもみじ饅頭。2009年に元祖の味を復活させたのが、現3代目の加藤宏明さんです。

もみじ饅頭作りを再開した経緯とその後について教えてください

加藤:2代目の昇は1965年(昭和40年)ごろ、本拠地を宮島から現在の地・宮島口西に移転しました。酒屋を中心に、町の食料品店として地域密着型のお店「多加津堂酒店」を営み始めたんです。

私は、後継者として1975年(昭和50年)から本格的に事業を承継し、頑張っていました。しかし、酒類免許の規制緩和によってスーパーやコンビニでお酒の販売が自由化され、私どものお店はピンチに陥ったんです。

悩み、苦しみ、もがくなかでしたが、2009年に子供の頃からの夢であった「元祖もみぢ饅頭」を復活させることにしました。再開後は、マスコミ等メディアの露出が多くなり、順調に販売が伸びています。自分で言うのもはばかられますが、おいしいと評判がよく、お客様に喜ばれています。

元祖を復活させていただき10年余、やっと基礎らしきものができつつあります。皆様の応援のおかげだと、感謝の思いで一杯です。これからも初心を忘れず頑張っていきます。

家族が語る、元祖復活への思い

Photo by 高津堂

もみじ饅頭を販売するお店がすでにたくさんあるなかで、再開するというのは本当に勇気のいることですよね。

「元祖を忘れられていないだろうか」「再開して、ちゃんと売れるだろうか」など、心配事も多くあったはず。それでも復活させた加藤さん。再開について、奥様の裕子さんにもお聞きしてみました。

裕子さん:主人が、子供のころからの夢「元祖の復活」を果たすことができて、嬉しく思います。今は小売り業から製造業に切り替え、家族皆、健康に気をつけながら創意工夫をし、お客様第一にお菓子作りをしています。お客様から笑顔で、おいしいと言っていただけるので幸せです。

ご家族の支えもあって、常助さんの元祖の味が復活したんですね!

これが元祖の味!モチモチのもみぢ饅頭

Photo by 高津堂

無事、復活を遂げた元祖もみぢ饅頭。特徴は、なんといっても初代・常助さんから受け継がれている食感です。
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