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誰もが知る広島名物「もみじ饅頭」【いまさら聞けない国民的菓子 #1】
「広島県のお土産は?」と聞かれて、何を思い浮かべますか。きっと多くの方が「もみじ饅頭!」と答えるのではないでしょうか。
知らない人はいないというくらい、いまや全国区の知名度になっているもみじ饅頭。いわずと知れた、もみじの形をした饅頭です。広島土産として人気のひと品ですが、いつ生まれたのか、また誰が考案したのか知っていますか?
そんなもみじ饅頭の始まりを知るべく、「高津堂」の店主・加藤宏明さんにお話を伺いました。記事の後半では、元祖の味を守る高津堂のもみぢ饅頭を紹介していますよ。
知らない人はいないというくらい、いまや全国区の知名度になっているもみじ饅頭。いわずと知れた、もみじの形をした饅頭です。広島土産として人気のひと品ですが、いつ生まれたのか、また誰が考案したのか知っていますか?
そんなもみじ饅頭の始まりを知るべく、「高津堂」の店主・加藤宏明さんにお話を伺いました。記事の後半では、元祖の味を守る高津堂のもみぢ饅頭を紹介していますよ。
原形は、初代が手がけた「紅葉形焼饅頭(もみじがたやきまんじゅう)」
もみじ饅頭の誕生について教えてください
加藤さん(以下、加藤):私の祖父である高津常助が20歳のころに考案し、1906年(明治39年)に焼き始めました。
当時、広島・宮島には抹茶菓子が少なく、老舗旅館「岩惣」の女将・栄子さんが、紅葉谷にふさわしい抹茶菓子を作って欲しいと常助に依頼したのが、もみじ饅頭誕生のきっかけです。
常助は気むずかしい職人気質のうえ、お酒が好きで“呑み助”と呼ばれていましたが、饅頭づくりには一途で、創意工夫を凝らす研究熱心な人物だったと聞いています。
当時、広島・宮島には抹茶菓子が少なく、老舗旅館「岩惣」の女将・栄子さんが、紅葉谷にふさわしい抹茶菓子を作って欲しいと常助に依頼したのが、もみじ饅頭誕生のきっかけです。
常助は気むずかしい職人気質のうえ、お酒が好きで“呑み助”と呼ばれていましたが、饅頭づくりには一途で、創意工夫を凝らす研究熱心な人物だったと聞いています。
行列ができるほどおいしい、元祖「もみぢ饅頭」
随分と年季の入った焼き型。初代・高津常助が考案し、実際に使われていたものです。
常助さんの作ったもみじ饅頭は、モチモチしたやわらかい食感に特徴があり、日が経っても硬くならなかったそうですよ。お店に行列ができるほどおいしいと評判だったとのこと。一体どんな味だったのか、食べてみたくなりますね♪
常助さんの作ったもみじ饅頭は、モチモチしたやわらかい食感に特徴があり、日が経っても硬くならなかったそうですよ。お店に行列ができるほどおいしいと評判だったとのこと。一体どんな味だったのか、食べてみたくなりますね♪
1910年(明治43年)に「紅葉形焼饅頭」として商標登録を取得。これこそが、後に「もみじ饅頭」として全国に知れ渡ることになる、饅頭の元祖なのです!
宮島名物から全国区のお土産へ
明治時代に宮島で生まれたもみじ饅頭。その後、どのようにして人気になっていったのでしょうか。
人気となっていった背景には、どのようなことがあるのでしょうか?
加藤:もみじ饅頭が全国区になったきっかけは、1980年ごろに起こった漫才ブームですね。漫才コンビB&Bの「もみじまんじゅう!」のギャグによって、知名度が一気に高まりました。
また、来島者の口コミの積み重ねもあったと思います。人気観光地の宮島には、大晦日、正月三が日の初詣、春の花見、夏の管弦祭、秋の紅葉シーズンなどに、大勢の観光客が来られますからね。
また、来島者の口コミの積み重ねもあったと思います。人気観光地の宮島には、大晦日、正月三が日の初詣、春の花見、夏の管弦祭、秋の紅葉シーズンなどに、大勢の観光客が来られますからね。
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