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100年の歴史を受け継ぎ、新たな時代へ踏み出す若き3代目
三重県松阪市飯南町の静かな町並みに佇む和菓子店「甲子軒」。1924年の創業から100年の歴史を刻むこの店は、2023年11月に大きな転換期を迎えた。古き良き日本家屋から現代的な店舗へと生まれ変わり、伝統的な和菓子店にカフェスペースを併設するという新しい試みを始めたのだ。この挑戦を担うのは、29歳の三代目、星野美沙希さん。彼女の歩みは、伝統を守りながらも時代に合わせて進化する地方の老舗店舗の理想的なモデルケースとなっている。
星野さんは高校卒業後津市の調理専門学校に進学し、調理、製菓、サービスの三つを学べる環境で自分の進むべき道を模索していた。当時は家業を継ぐことなど考えておらず、ただ漠然と飲食業界で働きたいという思いだけがあった。専門学校時代、彼女は将来働きたい店を探すため、様々な飲食店を食べ歩いた。松阪市の人気洋菓子店「1010番地」で食べたケーキに心を奪われた彼女は、ここで働きたいという強い思いを抱き、在学中からアルバイトとして店に通い始めた。
星野さんは高校卒業後津市の調理専門学校に進学し、調理、製菓、サービスの三つを学べる環境で自分の進むべき道を模索していた。当時は家業を継ぐことなど考えておらず、ただ漠然と飲食業界で働きたいという思いだけがあった。専門学校時代、彼女は将来働きたい店を探すため、様々な飲食店を食べ歩いた。松阪市の人気洋菓子店「1010番地」で食べたケーキに心を奪われた彼女は、ここで働きたいという強い思いを抱き、在学中からアルバイトとして店に通い始めた。
パティシエとしての修業時代が育んだ技術と感性
卒業後に正社員として入社した星野さんは、本格的なパティシエとしての道を歩み始めた。製造と販売の両方を担当する日々は決して楽なものではなかった。
朝から番まで長時間労働の中で特に印象深かったのは、週に一度シェフに付いて一日中製菓を行う特別な日だった。この日は、シェフの作業が滞りなく進むよう裏方としてサポートする役割を担当する。シェフの手を止めないよう常に先を読んで動く必要があり、自分の動きが遅ければ終業時間がどんどん遅くなっていく。緊張感に満ちた時間だったが、同時にシェフの技術を間近で学べる貴重な機会でもあった。
3年間の修業期間は星野さんに、洋菓子作りの基礎とプロフェッショナルとしての姿勢を叩き込んだ。これは、後に甲子軒でカフェメニューを展開する際の大きな財産となる。しかし23歳の時、星野さんの人生に大きな転機が訪れる。祖父が病気になったのだ。母親から「継ぐのか継がないのか、決めた方がいい」と告げられた星野さんは、人生の岐路に立たされた。
朝から番まで長時間労働の中で特に印象深かったのは、週に一度シェフに付いて一日中製菓を行う特別な日だった。この日は、シェフの作業が滞りなく進むよう裏方としてサポートする役割を担当する。シェフの手を止めないよう常に先を読んで動く必要があり、自分の動きが遅ければ終業時間がどんどん遅くなっていく。緊張感に満ちた時間だったが、同時にシェフの技術を間近で学べる貴重な機会でもあった。
3年間の修業期間は星野さんに、洋菓子作りの基礎とプロフェッショナルとしての姿勢を叩き込んだ。これは、後に甲子軒でカフェメニューを展開する際の大きな財産となる。しかし23歳の時、星野さんの人生に大きな転機が訪れる。祖父が病気になったのだ。母親から「継ぐのか継がないのか、決めた方がいい」と告げられた星野さんは、人生の岐路に立たされた。
伝統の味を守る難しさと、祖父からの無言の教え
家業を継ぐ決意をして1010番地を退職した星野さんを待っていたのは、想像以上に厳しい現実だった。祖父は昔気質の職人で、技術を言葉で教えるタイプではなかった。特に和菓子作りの核心部分である餡を包む作業などは、なかなか触らせてもらえなかった。星野さんは他の場所でアルバイトをしながら、店の手伝いとして袋詰めやパック詰めなどの周辺作業を担当し、祖父の仕事を観察する日々が続いた。この期間が約2年。焦りもあったが、祖父なりの考えがあることも理解していた。
徐々に祖父も自身の病状を自覚し、少しずつ技術を伝え始めた。しかし、そこで新たな壁が立ちはだかる。祖父が使う単位は「匁(もんめ)」や「貫(かん)」といった昔の単位だったのだ。現代のグラムやリットルに慣れた星野さんにとって、これは大きな試練だった。祖父が測った材料や「これくらい」という感覚的な指示を、正確な数値に落とし込む作業。この地道な努力の積み重ねが、100年続く甲子軒の味を次世代に継承する基盤となった。
2022年9月、正式に店の名義が星野さんに変わった。しかし祖父は引退後も店に出続け、孫娘の仕事を見守り続けた。
徐々に祖父も自身の病状を自覚し、少しずつ技術を伝え始めた。しかし、そこで新たな壁が立ちはだかる。祖父が使う単位は「匁(もんめ)」や「貫(かん)」といった昔の単位だったのだ。現代のグラムやリットルに慣れた星野さんにとって、これは大きな試練だった。祖父が測った材料や「これくらい」という感覚的な指示を、正確な数値に落とし込む作業。この地道な努力の積み重ねが、100年続く甲子軒の味を次世代に継承する基盤となった。
2022年9月、正式に店の名義が星野さんに変わった。しかし祖父は引退後も店に出続け、孫娘の仕事を見守り続けた。
築100年の建物から新店舗へ、歴史を紡ぐリノベーション
名義変更から約1年後の2023年、甲子軒は大きな変革を遂げる。実は、星野さんが家業を継ぐと決めた時から祖父は建て替えの必要性を説いていた。100年以上経過した日本家屋は伝統的な工法で建てられており、修繕には特殊な技術と多額の費用が必要だった。「本当に継ぐなら、建て替えを考えた方がいい」という祖父の言葉は、単なる助言ではなく、次世代への責任を託す重みのあるメッセージだった。
星野さんは休業期間を最小限に抑えるため、営業を続けながら新店舗を建設するという方法を選んだ。駐車場だった場所に新しい建物を建て、完成後に旧店舗を解体する。この決断により、常連客との繋がりを途切れさせることなく、スムーズな移行が可能となった。
星野さんは休業期間を最小限に抑えるため、営業を続けながら新店舗を建設するという方法を選んだ。駐車場だった場所に新しい建物を建て、完成後に旧店舗を解体する。この決断により、常連客との繋がりを途切れさせることなく、スムーズな移行が可能となった。
新店舗のコンセプトは「歴史を感じられる空間」
完全に新しくするのではなく昔の店舗の要素を随所に取り入れることで、100年の重みを表現しようと考えた。特に印象的なのは、旧店舗の窓ガラスを再利用したお皿だ。昭和の建物に使われていた独特の模様が入ったすりガラスを、作家に依頼して食器に加工した。
室内用の薄いガラスと外に面していた厚いガラスでは、お皿の表情も異なる。このすりガラス自体、現代では製造技術が失われており、解体される建物から回収するしか入手方法がないという貴重なものだ。来店客は、懐かしいガラスの質感を感じながら甲子軒の和菓子やケーキを味わうことができる。古い机や調度品も店内に配置し、新しさと懐かしさが共存する独特の空間を作り上げた。
室内用の薄いガラスと外に面していた厚いガラスでは、お皿の表情も異なる。このすりガラス自体、現代では製造技術が失われており、解体される建物から回収するしか入手方法がないという貴重なものだ。来店客は、懐かしいガラスの質感を感じながら甲子軒の和菓子やケーキを味わうことができる。古い机や調度品も店内に配置し、新しさと懐かしさが共存する独特の空間を作り上げた。
カフェ併設という新たな挑戦、祖母の夢を実現
新店舗の大きな特徴は、和菓子店にカフェスペースを併設したことだ。実はカフェを作ることは祖母の長年の夢でもあったのだ。祖母は生前「お客様が集える場所を作りたい」と考えていたが、悲しくも実現することなく亡くなってしまった。星野さんのカフェ構想は、図らずも祖母の遺志を継ぐ形となったのだ。
店舗周辺には気軽にコーヒーを飲んだりゆっくり過ごせる場所が少なく、年齢を問わず誰もが集まれる場所を作りたいと考えた。この構想は見事に実現し、現在では地元の常連客に加えインスタグラムを見た若い世代が、津市や伊勢市、さらには峠を越えて大阪や奈良からも訪れるようになった。
店舗周辺には気軽にコーヒーを飲んだりゆっくり過ごせる場所が少なく、年齢を問わず誰もが集まれる場所を作りたいと考えた。この構想は見事に実現し、現在では地元の常連客に加えインスタグラムを見た若い世代が、津市や伊勢市、さらには峠を越えて大阪や奈良からも訪れるようになった。
カフェメニューは、和菓子店らしくぜんざいやクリームあんみつなどの和スイーツを中心に、星野さんの洋菓子の技術を活かしたケーキ類も提供している。当初はケーキを出す予定はなかったが、彼女が1010番地で働いていたことを知る地元の人々から「ケーキもやるんでしょう?」との声から、期待に応える形でメニューに加えた。
お客様からのリクエストでタルトやシュークリームも徐々に増やし、現在では和菓子と洋菓子の両方を楽しめる珍しい店となっている。祖父の和菓子の伝統と、祖母のカフェの夢、そして星野さん自身の洋菓子の技術。三つの想いが一つの店舗で結実したのだ。
お客様からのリクエストでタルトやシュークリームも徐々に増やし、現在では和菓子と洋菓子の両方を楽しめる珍しい店となっている。祖父の和菓子の伝統と、祖母のカフェの夢、そして星野さん自身の洋菓子の技術。三つの想いが一つの店舗で結実したのだ。
伝統の味を守り、新しい味を創造する
甲子軒の看板商品は、何と言っても大福だ。地元の人々に長年愛されてきたこの味を、星野さんは一切変えないことを心に決めている。使用するもち米は佐賀県産。この品種は、もち米だけを栽培する田んぼで育てられるため、他の米と混ざることなく、表面がつるりと美しい仕上がりになる。祖父の代からずっと使い続けてきた材料だ。
一方で、星野さんは新しい商品開発にも積極的である。フルーツ大福は祖父と祖母の時代からイチゴとパインがあったが、彼女はキウイ大福(240円)を新たに加えた。特にパイン大福は、フルーツ大福ブームのずっと前から存在していた先駆的な商品だ。季節によって変わる商品も多く、冬場には高きびを使った昔ながらの和菓子、春には桜餅、夏にはさわ餅やいばら饅頭が登場する。
洋菓子のフルーツは季節ごとに変え、夏場はゼリー系のさっぱりしたものを多くするなど、細やかな配慮がなされている。イチゴは地元多気町の農家から直接分けてもらい、レモンスカッシュに使うレモンも飯南町産を使用。地元の食材を積極的に取り入れることで、地域とのつながりも大切にしている。
一方で、星野さんは新しい商品開発にも積極的である。フルーツ大福は祖父と祖母の時代からイチゴとパインがあったが、彼女はキウイ大福(240円)を新たに加えた。特にパイン大福は、フルーツ大福ブームのずっと前から存在していた先駆的な商品だ。季節によって変わる商品も多く、冬場には高きびを使った昔ながらの和菓子、春には桜餅、夏にはさわ餅やいばら饅頭が登場する。
洋菓子のフルーツは季節ごとに変え、夏場はゼリー系のさっぱりしたものを多くするなど、細やかな配慮がなされている。イチゴは地元多気町の農家から直接分けてもらい、レモンスカッシュに使うレモンも飯南町産を使用。地元の食材を積極的に取り入れることで、地域とのつながりも大切にしている。
高校球児たちの聖地と同じ由来?!
甲子軒の名前は1924年の甲子の年に創業したことに由来し、それは甲子園球場と同じだという。「甲子」とは十干十二支の最初の組み合わせで、「物事を始めるのに最適な年」だそうで、そういったところからも歴史を感じられるお店だ。
店のロゴはリノベーションと共に作成。イチゴ、パイン、キウイの三色をモチーフにデザインされ、和菓子の道具である餡べらの形も取り入れられている。伝統と革新、和と洋、そして地域との絆。すべてが調和した甲子軒のアイデンティティが、このロゴに凝縮されている。
店のロゴはリノベーションと共に作成。イチゴ、パイン、キウイの三色をモチーフにデザインされ、和菓子の道具である餡べらの形も取り入れられている。伝統と革新、和と洋、そして地域との絆。すべてが調和した甲子軒のアイデンティティが、このロゴに凝縮されている。
地域に根ざし、未来へ繋ぐ
現在の甲子軒は、地元の人々の日常に深く根ざした存在となっている。昔からの常連客は、孫を連れて訪れるようになった。祖父母は和菓子を、孫は洋菓子を選ぶ、そんな光景が日常的に見られる。和菓子と洋菓子の両方を本格的に提供する店は珍しく、これが幅広い年齢層に支持される理由となっている。
星野さんが最も大切にしているのは、祖父が守り続けてきた味を変えないことだ。その上で、プラスアルファとして新しい要素を加えていく。この姿勢こそが、100年続く老舗が次の100年を生き抜くための鍵なのかもしれない。伝統を守ることと、時代に合わせて変化することは、決して矛盾しない。むしろ、確固たる伝統があるからこそ、自由な発想で新しいことに挑戦できる。甲子軒の挑戦は、地方の老舗店舗が直面する課題への一つの答えを示している。
星野さんが最も大切にしているのは、祖父が守り続けてきた味を変えないことだ。その上で、プラスアルファとして新しい要素を加えていく。この姿勢こそが、100年続く老舗が次の100年を生き抜くための鍵なのかもしれない。伝統を守ることと、時代に合わせて変化することは、決して矛盾しない。むしろ、確固たる伝統があるからこそ、自由な発想で新しいことに挑戦できる。甲子軒の挑戦は、地方の老舗店舗が直面する課題への一つの答えを示している。
粥見を訪れる機会があれば、ぜひ甲子軒に立ち寄ってほしい。そこには100年の歴史が詰まった和菓子と、若き三代目の感性が光る洋菓子、そして地域の人々が集う温かな空間がある。昭和のすりガラスを再利用したお皿で供されるスイーツを味わいながら、時代を超えて受け継がれてきた職人の技と心に思いを馳せる。それは単なる甘味を楽しむ以上の豊かな体験となるだろう。
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※記事の内容は、公開時点の情報です。記事公開後、メニュー内容や価格、店舗情報に変更がある場合があります。来店の際は、事前に店舗にご確認いただくようお願いします。
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