ライター : macaroni松阪特派員 たけ

松阪市 地方活性化企業人

Photo by macaroni

三重県松阪市の旧道沿いに、時が止まったかのような古民家がある。築130年を超えるその建物は、かつて精米所として地域の人々の暮らしを支えていた。今、その空間は「はなうた」という名のカフェとして、新たな命を吹き込まれている。店主の玉野敬子(よしこ)さん(66歳)が営むこの店は、動物性食材を一切使わないヴィーガン料理と雑穀を組み合わせた独創的な料理で、訪れる人々を魅了し続けている。
白く塗られた壁、昔ながらのガイシを使った電気配線、すりガラスの食器棚。店内に足を踏み入れると、昭和の懐かしさと現代的なセンスが絶妙に調和した空間が広がる。テーブル席、廊下の小さな席、そして畳の座敷まで、全部で約30席ほどの店内は、どこか懐かしく、それでいて心地よい緊張感を持っている。玉野さんが16年前にこの場所と出会い、親戚の人形作家と共に作り上げたこの空間には、単なるカフェを超えた、人生の物語が詰まっている。

息子のアトピーから始まった雑穀料理への道

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玉野さんと雑穀料理の出会いは、今から約30年前に遡る。北海道札幌市で生まれ、小学生の時に父親の転勤で神奈川県へ移り住んだ彼女は、27歳で三重県に嫁いできた。当初はヤマハ音楽教室の講師として働いていたが、人生の転機となったのは次男の誕生だった。

以前から食事や添加物には関心があったものの、次男が重度のアトピー性皮膚炎を患っていたことが、玉野さんの食に対する考え方を根本から変えた。同じようにアトピーの子供を持つ母親たちとの交流の中で、雑穀という食材の存在を知った。当時、雑穀は戦後の貧しい時代を経験した世代からは敬遠される食材だった。しかし、粟、稗(ひえ)、黍(あわ)といった栄養価の高さに驚いた玉野さんは、雑穀料理の研究に没頭していった。

マクロビオティックやヴィーガンといった概念と雑穀料理を融合させ、独自のスタイルを確立していくこととなる。動物性食材を使わないながらも、満足感のある料理を作り出すため、試行錯誤を重ねた日々。その経験の蓄積が、今のはなうたの料理の基盤となっている。

偶然が重なって生まれた古民家カフェ

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一部をショップとしても活用している
はなうた誕生のきっかけは、かつて喫茶店を経営していた親戚の人形作家との何気ない会話にあった。二人で何か楽しいことができないか、そんな漠然とした思いを共有したことから、物件探しが始まっていく。

転機となったのは、玉野さんの夫が造園業を営んでいたことだった。ある日、庭の手入れを依頼された現場を訪れた夫は、敷地内に建つ一軒の古民家に強く心を引きつけられる。築130年を超えるその建物は、かつて精米所として使われていた歴史を持ち、当時の面影が今も随所に残されていた。

家主に借りられないかと相談したものの、返ってきたのは片付けの大変さを理由にした消極的な返答だった。しかし、自分たちで片付けることを引き受けたいと申し出た玉野さんたちの姿勢が、家主の心を少しずつ動かしていく。最終的には「片付けるのであれば使ってもいい」という言葉をもらい、話は前へと進んだ。

2009年の春、二人は週末を利用して本格的な片付け作業に取りかかる。人形作家の親戚は平日に仕事があったため、主に土日を中心に作業を行った。一方、比較的時間に余裕のあった玉野さんは、平日も少しずつ手を入れ、地道に作業を重ねていく。

手作りで生まれ変わった空間

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片付けを終えると、いよいよ本格的な改装作業に取りかかることになった。ただし、潤沢な予算があったわけではない。そこで二人は、できる限り自分たちの手で進める道を選ぶ。壁は白く塗り直し、土壁の一部をくり抜いて、風と光が通る開放的な空間を生み出した。大工に依頼したのは、厨房棚の設置や床板の張り替え、水道・ガス・電気といった最低限の設備工事のみである。それ以外の内装は、すべて二人の手によって形づくられていった。

店内に置かれたテーブルも、既製品ではない。昔の足踏みミシンの上部を外し、余った床材を天板として組み合わせた手作りのものだ。資金に余裕がなかったからこその工夫だったが、その素朴さが空間に独特の味わいを与えている。建物の中から見つかった古い道具や家具も、可能な限り活用された。ゼンマイが切れて動かなくなった古時計も、今は壁に掛けられたまま、静かに店の時間を見守っている。

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電気工事を担当した職人は、建物に残っていた古いガイシに目を留め、「これは活かしたほうがいい」と提案したという。今ではほとんど見かけなくなったガイシを使った配線は、店の電気スイッチとして現在も現役だ。築130年の建物を、できるだけ当時の姿に近い形で残したい。その思いこそが、改装全体を貫くコンセプトだった。古いものは無理に隠さず、ただ色を塗って明るく整える。その姿勢が、はなうたならではの雰囲気を形づくっている。

2年はかかるだろうと予想していたが、驚くべきことにわずか7ヶ月ほどの準備期間の後、2009年10月のオープンにこぎつける。特に宣伝をしたわけではなかったが、口コミで広がり、初日から多くの客が訪れた。二人とも本格的なカフェ経営の経験はなく、てんてこ舞いの状態だったという。店内で使われている食器や小物の多くも、地域の人々から寄せられたものだ。そうして少しずつ積み重なった人の手と想いが、この店を作り上げてきた。

その後は急激な成長もなければ、大きな落ち込みもない、安定した経営が続いている。雑誌に掲載されると一時的に客が増えるが、すぐに落ち着く。そうした中で、この空間と料理を気に入った常連客が、長く通い続けてくれている。地域と共に育まれた場所、それが「はなうた」である。

一日一膳の定食に込められた偶然と必然

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はなうたのメニューは、一種類の定食のみである。ただし内容は週替わりで、訪れるたびに異なる表情を見せる。お盆の上に小鉢がずらりと並ぶスタイルは、玉野さんが店を始める前から思い描いていた原風景だったという。不思議なことに、そのイメージを抱いた直後、建物の屋根裏から古いお盆が次々と見つかった。まるで建物自体が、この店の誕生を後押ししているかのような出来事だった。料理は動物性食材を一切使わないヴィーガンだが、雑穀の特性を巧みに活かし、肉や魚を使わずとも満足感のある食感と味わいを実現している。

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当日のメニュー内容は店舗入り口の黒板にかかれている。
玉野さんの料理には、決まったレシピが存在しない。三十年にわたって雑穀料理と向き合ってきた経験が、すべて身体の中に蓄積されているからだ。その日に届いた食材を前にして、自然と献立が立ち上がる。流行のレシピ本やSNSを参考にすることはほとんどなく、必要があれば昔の料理本をめくる程度だ。基本となるのは、これまで作ってきた料理の記憶と感覚であり、食材の状態に応じて微調整を重ねていく。その積み重ねが、ぶれのない味を支えている。

調味料と飲み物に宿る、からだへの配慮

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左-スパイス梅ドリンク:520円(定食のセットにすると+300円) 右-穀物コーヒー:450円(定食のセットにすると+200円)
調味料へのこだわりも徹底している。一般的なスーパーで売られているものは使わず、味噌や醤油、塩に至るまで、自然食品を扱う専門の問屋から仕入れたものだけを選ぶ。野菜も無農薬栽培に取り組む農家から直接届く。こうした素材選びが、料理全体の土台を形づくっている。ドリンクも個性的で、コーヒーの代わりに穀物コーヒーや玄米コーヒーも提供する。夏には自家製の梅ジュースが並ぶが、シナモンやクローブ、カルダモンを加え、体を整える一杯に仕上げている。

あるがままに、自然体で

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創業から16年、玉野さんの店に対する姿勢は一貫している。無理をしない、自分にできることをする、あるがままに。かつては何としても営業しなければと思っていた時期もあったが、今は違う。自分の体調や、他とのバランスを考えながら、無理のない範囲で店を続けている。

はなうたを好きで来てくれる客に、精一杯の料理でもてなす。完璧を目指すのではなく、あるがままを受け入れる。そんな姿勢が、店の居心地の良さを生み出している。

親戚の人形作家は、約10年間一緒に店を切り盛りした後に独立、今は近くで「まるいじかん」というカフェを週2日だけ営業しながら自身の制作活動に専念している。寂しさはあったがそれぞれがやりたいことを追求する。そんな関係性を玉野さんは大切にしている。

食を通じて伝えたいこと

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はなうたでは特別なルートで仕入れた安心安全な食品の販売も行っている。
ヴィーガン料理というと、制限の多い食事というイメージを持つ人も多い。しかし、はなうたの料理は違う。小鉢が並ぶ楽しさ、様々な味わいを楽しむ喜び、見た目の美しさ。食事は単なる栄養補給ではなく、人生を豊かにする体験だということを、玉野さんの料理は教えてくれる。

お盆の上に並ぶ小鉢を見た時の、客の驚きと喜びの声、それが玉野さんの原動力だ。美味しいと言ってもらえることが、何よりの励みになる。だからこそ、手間のかかる料理も、丁寧に作り続けることができる。これからも、大きな変化を求めるつもりはない。店だけに集中し、来てくれる客に喜んでもらえる料理を作る。「挑戦」よりも「継続」。派手さはないが、確かな価値がそこにはある。

古民家が紡ぐ物語

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築130年の建物は、多くの物語を見てきた。精米所として地域の人々の生活を支えた時代、空き家として静かに時を過ごした時代、そして今、カフェとして新しい物語を紡いでいる時代。建物自体が、時代の変化を体現している。

玉野さんたちが改装する際、できるだけ建物の歴史を残そうとしたのは、そうした物語を大切にしたかったからだ。古い時計、ガイシの配線、すりガラスの食器棚。一つ一つが、この建物の歴史を物語っている。当時は普通だったものが、今見ると新鮮に映る。時代が一周して、再び価値を見出されている。


訪れる人々は、ただ食事をするだけではない。この空間で過ごす時間、玉野さんの作る料理、そして建物が持つ歴史・佇まい。それらすべてを含めた体験を楽しんでいる。営業日は限られているが、だからこそ、訪れた時の特別感がを楽しむのだ。


はなうたという店名の通り、はなうたを歌いながら、のんびりと過ごせる場所。それが、玉野さんの16年間目指した店の姿だ。その姿勢はこれからも変わることはないだろう。安全で安心な食材を使い、心を込めて作った料理で、訪れる人々の心を豊かにする。古民家の中で、今日も静かに、"はなうた"が響いている。

はなうた
〒515-2122
三重県松阪市久米町1334
木曜日
定休日
月曜日
11:30〜13:30
火曜日
11:30〜13:30
水曜日
11:30〜13:30
木曜日
定休日
金曜日
11:30〜13:30
土曜日
11:30〜13:30
日曜日
定休日
開閉
0598-56-6581
席数
33席
L.O.
14:30
定休日
月曜・木曜・不定休1日(週3日営業)
最寄駅
JR松ヶ崎駅より徒歩4分
支払方法
現金のみ
駐車場
18台:第一:8台、第二:約10台※第二駐車場はたいへん狭くなっております。普通車以上でお越しの場合、第一駐車場をおすすめします。
その他
夏季休業:7月中旬~9月中旬頃(約2ヶ月)
ランチ

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