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松阪の住宅街に佇む、あたたかな食堂
三重県松阪市ののどかな田んぼが広がる奥の、住宅地にひっそりと佇む一軒の食堂。生活道路としても使われる店前の道から少しはいると、植物に囲まれたログハウス調の隠れ家のようなお店がある。店内に入ってすぐ右手には、うどん屋に似つかわしくない大きなサーフボードがずらっと並べられている。
ローカルFMのラジオが流れる店内は、カウンター3席、テーブル2卓という小さな空間ながら、訪れる人の心と胃袋を満たす暖かさがある。—店主の中井みゆきさんが一人で切り盛りする「手打ちうどん 美ノ田」…うどんとカレーの店だ。「特別なことなんてなにもない。ただの”うどん屋”です。」今日はそんな自然体で語る中井さんに話を伺った。
「この場所は、もともと主人の実家で、隣が自宅なんです」と語る中井さん。お店として使われている建物は、以前は農機具置き場だったという。骨組みだけを残し、内装を大幅に改装して店舗として生まれ変わった。創業は2014年頃。「確か…11年前くらいだと思います」と笑うその言葉に、地元密着型の営業を続けてきた年月の重みがにじむ。
飲食の原点は母の姿から
中井さんが飲食の道に進んだのは、特別なきっかけがあったわけではなかったという。東京でジュエリー関係の仕事に就いていたが、20代後半で地元・三重に戻ってきた。30歳のときに飲食店を始めることになったが、その背景には、母親の存在があった。
「母が大衆食堂をやっていたんです。バブル期で景気もよかったし、『飲食って儲かるもの』というイメージがあったんですね。でも、実際にやってみると、そんなに甘くはなかったです(笑)」
最初に開いた店は、松阪市内での小さな洋風居酒屋。ワインやカクテル、エスニックな小皿料理を提供する、ちょっとお洒落な空間だった。東京でタイ料理ブームに触れた経験が、このスタイルにつながっている。
最初に開いた店は、松阪市内での小さな洋風居酒屋。ワインやカクテル、エスニックな小皿料理を提供する、ちょっとお洒落な空間だった。東京でタイ料理ブームに触れた経験が、このスタイルにつながっている。
「当時はまだ松阪にエスニック系の店がなかったんです。見よう見まねで始めたんですけど、10年間やってみて、飲食の難しさも面白さも知りましたね」
その後、ご主人と結婚。ご主人もかつて伊勢でサーフショップを営んでいた経験があり、「もう一度やってみたい」という想いから、松阪の現在地に店舗を構えることになった。
その後、ご主人と結婚。ご主人もかつて伊勢でサーフショップを営んでいた経験があり、「もう一度やってみたい」という想いから、松阪の現在地に店舗を構えることになった。
サーフショップ併設からうどん店—“場所”との向き合い方
開業当初は、夫が立ち上げた「サーフショップ」+「カフェ」だった。松阪という内陸の土地では、サーフカルチャーの需要が見込めず、思うようにいかなかった。
「場所も主人の実家の土地で、家賃もかからないから、とにかく始めてみようという感じでした。でも、海から遠すぎて、うまくいかなかったんです。一度は閉めて、私も社員食堂の調理場の仕事に2年ほど行っていました」
「場所も主人の実家の土地で、家賃もかからないから、とにかく始めてみようという感じでした。でも、海から遠すぎて、うまくいかなかったんです。一度は閉めて、私も社員食堂の調理場の仕事に2年ほど行っていました」
早朝5時出勤という過酷なスケジュールの中で、「せっかくなら店舗を活かしたい」との想いから、再起を決意。当初は、前の店舗と同様に洋風テイストの食堂も考えたが、地域性を考慮して、より親しみやすい「うどん屋」という業態に舵を切った。気軽に立ち寄れる“地域の食堂”というスタイルは、地域住民にとっても安心できる存在となっている。
地元になじむ「うどん屋」という選択肢
最初はごく一般的なうどんメニューを揃え、カレーうどんも「あるにはある」という位置づけだった。ところが、ある日訪れた他店のカレーうどんをきっかけに、スパイスのバランスに違和感を覚えたことから、自家製のスパイスブレンドに挑戦することに。
「最初は市販のカレー粉を使っていたんですけど、スパイスを加えてみたら意外とうまくいって。それなら、スパイスカレーもできるんじゃない?って思って、挑戦してみたら、これもまた面白くて」
そうして現在の「木曜限定・カレーの日」が誕生することになる。曜日を木曜に決めたのも、お客さんの動向を踏まえた実践的な判断だった。
看板メニューは“特別な一品”ではなく、日常の中の一杯
「一押しって、実は特にないんです」と話す中井さん。飲食店としては少し意外にも思える発言だが、その背景には“特別感”を押し出さない、ごく自然体の営業姿勢がある。
「普通のうどん屋をやってるつもりなので、これを食べてほしいというよりは、どれも普通に美味しいと思って出しています」
メニューは大きく分けて「出汁うどん」と「カレーうどん」。ベースとなる出汁はどちらも同じで、カレーうどんはそこにスパイスを加えたもの。中でも「大仏うどん」は、近くにある美濃田大仏にちなんで命名されたオリジナルメニューだ。
「出汁も別に何か特別なことをしてるわけじゃないんですよ。昆布と鰹節、煮干しを使った、いわばごく普通の和風出汁です。そういう、ちゃんと基本を押さえたうどんを出してる、そういうお店なんです」
出汁は地元の老舗乾物店から
とはいえ、その「普通」を支えているのは確かな素材と日々の積み重ねだ。出汁に使っている鰹節は、松阪駅からほど近い新町通り沿いにある老舗乾物店「魚斎商店」から仕入れている。
「そこ、昔からあって、今も飲食店さんがよく鰹節を買いに行ってるようなところなんです。ちゃんとしたところで材料を揃えて、当たり前のことを丁寧にやってるつもりです」
「そこ、昔からあって、今も飲食店さんがよく鰹節を買いに行ってるようなところなんです。ちゃんとしたところで材料を揃えて、当たり前のことを丁寧にやってるつもりです」
「すごく期待されすぎるとちょっと恐縮してしまいますけど、でもちゃんと作ってるうどんを、気軽に楽しんでいただけたら嬉しいですね」
手打ちへの挑戦と三重県産小麦との出会い
現在は自家製の手打ちうどんを提供しているが、開業当初は製麺業者から仕入れた麺を使用していたという。
「やっぱり、やってるうちに“自分で打った方が美味しいんじゃないかな”と思ってきて。それで動画とかも見ながら、いろんな粉を試しました」
その中で出会ったのが、三重県産の小麦粉。地元のスーパーで見かけて、販売元に直接連絡して仕入れるようになった。
お客さんとの会話から生まれた「ホルモンうどん」
印象的なエピソードの一つが、メニューに登場する「ホルモンうどん」の誕生秘話だ。
「もともとはメニューに無かったんですよ。でも、関西出身のお知り合いから“ホルモンうどんが食べたい”って言われて」
その言葉を受けて思い出したのが、松阪の牛内臓専門の卸業者の存在。偶然にも知り合いだったことから、相談してみたところ「できるよ」と快く応じてもらい、商品化へとつながった。
「もともとはメニューに無かったんですよ。でも、関西出身のお知り合いから“ホルモンうどんが食べたい”って言われて」
その言葉を受けて思い出したのが、松阪の牛内臓専門の卸業者の存在。偶然にも知り合いだったことから、相談してみたところ「できるよ」と快く応じてもらい、商品化へとつながった。
「ホルモンうどんができたなら、ホルモンカレーうどんも作れるよねって。そこからちょっとずつ広がっていきました」
このように、メニューの進化はお客さんとの対話から生まれることも多い。とはいえ、最近は現在のラインナップで落ち着いているそうだ。
「最初はいろいろやってたけど、今はこのまま。価格だけは材料費の高騰で少しずつ調整しています。急には上げられないので、タイミングを見てですね」
このように、メニューの進化はお客さんとの対話から生まれることも多い。とはいえ、最近は現在のラインナップで落ち着いているそうだ。
「最初はいろいろやってたけど、今はこのまま。価格だけは材料費の高騰で少しずつ調整しています。急には上げられないので、タイミングを見てですね」
しっかりととろみをまとった餡が、ほんの少し細めに仕上げられた自家製手打ち麺に絡みつく。一口すすれば、ホルモンと野菜の旨味がじんわりと広がり、スープ全体にその深い味わいが染み渡っているのがわかる。ホルモン特有の甘みとコクが味に奥行きを与え、単なるスパイシーさだけではない複雑な美味しさを作り出している。
そして最後は、ご飯を投入して締めの一皿へ。スープの旨味を余すことなく吸ったご飯は、まるでカレーライスのような満足感を与え、最後のひと口まで箸が止まらない。食べ終わった後に感じるのは、満足感とともに、また食べたくなる心地よい余韻だった。
「飲み物は置かない」シンプルな理由
「ドリンクはコーヒーと生ビールだけ。ソフトドリンクは置いてません。あまり出ないだろうし、メニューに書くと在庫も抱えないといけないので」
メニューを最小限に保つスタイルもまた、彼女らしい。食事を主役とし、余計なものは省く。そんな姿勢が、シンプルながらも芯のある店の魅力につながっている。
生ビールも同様に、実際に注文されることは少ないが、「自分と主人が飲むために置いてある」と笑う。必要以上にメニューを増やさず、無駄を削ぎ落とすその姿勢は、店主の考えの根底にある“効率と誠実さ”を体現している。
生ビールも同様に、実際に注文されることは少ないが、「自分と主人が飲むために置いてある」と笑う。必要以上にメニューを増やさず、無駄を削ぎ落とすその姿勢は、店主の考えの根底にある“効率と誠実さ”を体現している。
修業経験なし、“料理本好き”から始まった道
実はうどん屋としてのキャリアは、専門店での修業経験に裏打ちされたものではない。「高校生の頃から、料理の本を見るのが好きで。ずっと独学ですね。今やインターネットになんでも載っている。うどんを捏ねるのも見様見真似からいろいろ試してみて、徐々にに学んでいきました。」
新しいことへの挑戦も、「あまり深く考えずに始めてしまう」という中井さんだが、その姿勢こそが、日々の積み重ねの中で生まれる“味の深化”につながっている。「何かを始めるとき、失敗するってあまり考えないんです。親が商売していて、うまくいってる姿を見て育ったので、あまりネガティブなイメージがないんですよね」
新しいことへの挑戦も、「あまり深く考えずに始めてしまう」という中井さんだが、その姿勢こそが、日々の積み重ねの中で生まれる“味の深化”につながっている。「何かを始めるとき、失敗するってあまり考えないんです。親が商売していて、うまくいってる姿を見て育ったので、あまりネガティブなイメージがないんですよね」
「おいしい」は通過点―“感動”を目指すうどんづくり
根底にあるのはやはり「当たり前のことを当たり前にする」という考え方だ。調理場のつくりも専門店仕様ではなく、動線が最適とはいえない。それでも一つひとつを丁寧に積み重ねてきた。「特別なことはしてないんです。面倒くさがらずに、手抜きせずにやる。ただそれだけなんです」
「“お客さんにおいしいと言ってもらうのが喜び”ってよく言われるけど、私はちょっと違うなと思っていて。もちろん“おいしい”って言ってもらえるのは嬉しいし、ありがたいですけど、それが最終地点じゃない。感動してもらったり、記憶に残ったり。そういう料理をつくりたい」
そう話をしているとき伺った、「感動をありがとう」と言って帰っていったお客さんのエピソードが最も印象深かった。おいしさを超えた体験を提供したいという強い想いが、店主の料理には込められている。
そう話をしているとき伺った、「感動をありがとう」と言って帰っていったお客さんのエピソードが最も印象深かった。おいしさを超えた体験を提供したいという強い想いが、店主の料理には込められている。
平日は仕事途中に立ち寄る常連客の姿も多く「だいたい半々ぐらい」。一方土日は市内外からうどんを楽しみに来る方も多く、新規顧客が増えるという。SNSに依存しない形で来客が続いているのは、料理と空間の魅力が口コミでじわじわと広まっている証左でもある。
「特別じゃない」ことが、特別になる日常のうどん屋
イベントへの出店や拡大路線には、今のところ関心はないという店主。それでも、これだけ丁寧な手仕事を続けていれば、自然と人は集まってくる。
「最後に何か伝えたいことはありますか?」と尋ねると、返ってきたのはあっさりとした一言だった。
「普通のうどん屋さんです。気楽に来てください」
その飾らない言葉の裏にあるのは、日常の中で丁寧に、まっすぐに向き合い続ける覚悟と信念だ。この店が目指すのは“記憶に残るうどん”。特別な素材や派手な演出ではなく、手間ひまと心を込めた“ふつう”の積み重ねが、今日も誰かの感動を生んでいる。
「普通のうどん屋さんです。気楽に来てください」
その飾らない言葉の裏にあるのは、日常の中で丁寧に、まっすぐに向き合い続ける覚悟と信念だ。この店が目指すのは“記憶に残るうどん”。特別な素材や派手な演出ではなく、手間ひまと心を込めた“ふつう”の積み重ねが、今日も誰かの感動を生んでいる。
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※記事の内容は、公開時点の情報です。記事公開後、メニュー内容や価格、店舗情報に変更がある場合があります。来店の際は、事前に店舗にご確認いただくようお願いします。
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