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築地で愛される老舗「近江屋牛肉店」の3代目として
創業90年以上の老舗「近江屋(おうみや)牛肉店」。一流のプロから絶大な信頼を寄せられるだけでなく、秘伝のタレを使った焼き豚はメディアにも取り上げられる人気ぶり。その社長を務める3代目・寺出昌弘(てらで まさひろ)さんは、最初は店を継がず、一度スーパーマーケットに就職したのち「近江屋」に入りました。
近江商人の気概を持って東京で商売を始めた初代、高度経済成長の波にのって経営を拡大した2代目、そしてその歴史を継いだ寺出さん。3代目を継ぐまでの葛藤、近江屋のルーツをたどる旅を通して知った近江牛との縁など、まるで一編のドラマのようなストーリーをお話しいただきました。
近江商人の気概を持って東京で商売を始めた初代、高度経済成長の波にのって経営を拡大した2代目、そしてその歴史を継いだ寺出さん。3代目を継ぐまでの葛藤、近江屋のルーツをたどる旅を通して知った近江牛との縁など、まるで一編のドラマのようなストーリーをお話しいただきました。
▼前編はこちら
身近でありながら、はるか上の存在だった父
前編では、小さい頃引っ込み思案だったこともあって、店を継ぐ気はなかったとおっしゃっていましたが、どんな子ども時代でしたか。
寺出:築地は、今では商売と住む場所が離れていますが、私の子どもの頃は、皆が同じ場所で暮らし、商売をしていました。店の従業員の人たちに遊んでもらったり、隣の店のおじさんに怒られたりして。生活すべてが商売に関わりがあって、築地全体がそういった雰囲気のなかにありました。
当時は、高度経済成長の真っ只中で、とにかく忙しくて。2代目である父に遊んでもらった思い出はほとんどありません。ですから、余計に商売をするってつまらないな、継ぎたくないなと幼心に思っていました。
商売は私にとって身近なものだったのですが、父は怖い存在でしたね。例えるなら、力士部屋の師弟関係にある親子のよう。近い存在だけれど、はるか上にいて、気軽に話ができない雰囲気がありました。
当時は、高度経済成長の真っ只中で、とにかく忙しくて。2代目である父に遊んでもらった思い出はほとんどありません。ですから、余計に商売をするってつまらないな、継ぎたくないなと幼心に思っていました。
商売は私にとって身近なものだったのですが、父は怖い存在でしたね。例えるなら、力士部屋の師弟関係にある親子のよう。近い存在だけれど、はるか上にいて、気軽に話ができない雰囲気がありました。
怒られながら覚えていった“築地の王道”
一度築地の外で働かれて、それから戻り、2代目と共に「近江屋」で働かれたんですね。苦労されたことがあれば、お聞かせください。
寺出:そのときは、とても軽い気持ちで戻ったんですよ。店に入ったからには、何か新しいことをやろうという思いがありました。でも、私が良かれと思ってやろうとしたことは、ことごとく父に怒られましたね。“築地の商売”がまったく分かってないと。
なぜダメなのか、その頃は分からなかったんです。ですが、今考えると、効率よりお客様ひとりひとりと信頼を築くことが大切といった父の教えは、すべて築地の商売にとって王道だったんですね。そのやり方が正しいと分かったのは、父が亡くなったときでした。
なぜダメなのか、その頃は分からなかったんです。ですが、今考えると、効率よりお客様ひとりひとりと信頼を築くことが大切といった父の教えは、すべて築地の商売にとって王道だったんですね。そのやり方が正しいと分かったのは、父が亡くなったときでした。
ルーツをたどる旅を通じて知った、近江牛との深い縁
※掲載情報は記事制作時点のもので、現在の情報と異なる場合があります。
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