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松阪港のほど近く、港湾の事業者が立ち並ぶエリアで営む「海野屋」は、昭和26年創業、70年以上の歴史を持つ地域密着型の旅館兼食堂だ。現在は三代目の海野浩明さん(51)が家族とともに切り盛りしている。
看板には「海野屋」と掲げられているが、正式には「海野商店」。宿泊客から「海野屋さん」と呼ばれるようになり、その呼び名が地域に浸透していった経緯がある。店舗と併設する宿泊施設を運営しながら、地元の職人や会社員たちの胃袋を満たし続けてきたこの店には、時代の変化に対応しながらも変わらぬ味を守り続ける姿勢が息づいている。
看板には「海野屋」と掲げられているが、正式には「海野商店」。宿泊客から「海野屋さん」と呼ばれるようになり、その呼び名が地域に浸透していった経緯がある。店舗と併設する宿泊施設を運営しながら、地元の職人や会社員たちの胃袋を満たし続けてきたこの店には、時代の変化に対応しながらも変わらぬ味を守り続ける姿勢が息づいている。
リヤカーから始まった海野屋の歴史
海野屋の創業は昭和26年。浩明さんの祖父が事業を始めたとされているが、その詳細は時代の中に消えかけている。浩明さん自身も父親に尋ねてみたが、明確な答えは得られなかったという。リヤカーを引いて蒲鉾などを売り歩いていたという話や、田舎のスーパーのような形態で蜜柑をバケツに入れて販売していたという断片的な記憶が残るのみだ。
海野商店として商売を始め、やがて旅館業も手がけるようになった。当時はビジネスホテルが少なく宿泊需要が高かった時代背景もあり、旅館は大変繁盛していたという。宿泊客に食事を提供するうちに弁当の注文を受けるようになり、さらに食堂としての営業も始まっていった。事業の多角化は顧客のニーズに応える形で自然発生的に進んでいったのだ。
浩明さんの父親の時代までは薪を割って風呂を沸かすという昔ながらのスタイルで、幼い浩明さんも手伝った記憶があるという。やがて忙しさが増すにつれてボイラーなどの設備を導入し、徐々に現代的な営業形態へと移行していった。
海野商店として商売を始め、やがて旅館業も手がけるようになった。当時はビジネスホテルが少なく宿泊需要が高かった時代背景もあり、旅館は大変繁盛していたという。宿泊客に食事を提供するうちに弁当の注文を受けるようになり、さらに食堂としての営業も始まっていった。事業の多角化は顧客のニーズに応える形で自然発生的に進んでいったのだ。
浩明さんの父親の時代までは薪を割って風呂を沸かすという昔ながらのスタイルで、幼い浩明さんも手伝った記憶があるという。やがて忙しさが増すにつれてボイラーなどの設備を導入し、徐々に現代的な営業形態へと移行していった。
三代目への道―修行を経て家業へ
浩明さんは大学卒業後、すぐに家業に入ったわけではない。名古屋の大学に進学し、卒業後は津の調理専門学校で調理技術を学んだ。専門学校卒業後は約2年間、他店で修行を積んでから海野屋に戻ってきた。当時26歳ぐらいだった。
当時、海野屋は最も活気に満ちていた。朝は終業後や始業前のトラック運転手たちが朝食を食べに訪れていた。昼時には地域で働く職人たちが大勢押し寄せ、店内は常に満席状態。今よりも活気に満ち溢れていた。
当時、海野屋は最も活気に満ちていた。朝は終業後や始業前のトラック運転手たちが朝食を食べに訪れていた。昼時には地域で働く職人たちが大勢押し寄せ、店内は常に満席状態。今よりも活気に満ち溢れていた。
二つのスタイルを併用する独自の提供方法
※写真のメニュー内容や価格、店舗情報は変更がある場合があります。来店の際に店舗にてご確認いただくようお願いします。
現在の海野屋のメニュー構成は、伝統的な食堂スタイルと現代的な注文制を組み合わせた独特のものだ。店内には昔ながらの惣菜が並ぶショーケースがあり、客は好きなおかずを選んでご飯と味噌汁をつけてもらうことができる。一方で、唐揚げセットやラーメンセットなど、注文を受けてから調理するメニューも充実している。
このスタイルに移行したのは5、6年ほど前のこと。食材や調理の効率を考え、基本的な惣菜は用意しつつ注文制のメニューも充実させるという方法を導入した。これにより、できたての料理を食べたいという顧客のニーズともマッチする。限られた人員で効率よく営業するための工夫が、結果的に客の選択肢を広げることにもつながっている。
このスタイルに移行したのは5、6年ほど前のこと。食材や調理の効率を考え、基本的な惣菜は用意しつつ注文制のメニューも充実させるという方法を導入した。これにより、できたての料理を食べたいという顧客のニーズともマッチする。限られた人員で効率よく営業するための工夫が、結果的に客の選択肢を広げることにもつながっている。
継ぎ足しのタレで煮込む煮サバ
海野屋で人気があるメニューであるサバは創業以来受け継がれてきた母親のレシピに基づいている。継ぎ足しながら使い続けることで、深みのある味わいが生まれるという。
もう一つの人気メニューである塩サバも、こだわりの一品だ。スーパーで売られている塩サバの多くは、塩で締めた干物に近いものだが、海野屋では生のサバに焼く直前に塩を振って焼き上げる。この方法により、ふっくらとした食感と鮮度の良さが保たれる。常連客の中には、毎回必ず塩サバを注文する人、煮サバ一筋の人、唐揚げばかり食べる人など、それぞれのお気に入りメニューがあるという。
もう一つの人気メニューである塩サバも、こだわりの一品だ。スーパーで売られている塩サバの多くは、塩で締めた干物に近いものだが、海野屋では生のサバに焼く直前に塩を振って焼き上げる。この方法により、ふっくらとした食感と鮮度の良さが保たれる。常連客の中には、毎回必ず塩サバを注文する人、煮サバ一筋の人、唐揚げばかり食べる人など、それぞれのお気に入りメニューがあるという。
銅板で焼く卵焼きと日替わりの小鉢
海野屋の卵焼きは、銅板の卵焼き器を使って焼き上げられる。熱伝導が均一で、適切に油膜を作れば卵が全くくっつかないためだ。出汁量を調整し、お弁当にも、店頭でもパサつかず、かといって柔らかすぎない、ちょうど良い食感を生み出している。店頭ではカットして一切れサイズで提供される。
他にも、小鉢として提供される煮物は日替わりで、毎日異なるメニューが並ぶ。海野屋では毎日弁当を配達しており、その日の弁当に入れる煮物が小鉢としても提供される仕組みだ。すべて手作りで、日替わりの煮物が用意しているのも海野屋のこだわりだ。
他にも、小鉢として提供される煮物は日替わりで、毎日異なるメニューが並ぶ。海野屋では毎日弁当を配達しており、その日の弁当に入れる煮物が小鉢としても提供される仕組みだ。すべて手作りで、日替わりの煮物が用意しているのも海野屋のこだわりだ。
庶民の味方であり続けるために
浩明さんが経営で最も気を配っているのが価格設定だ。カップ麺が300円するこの時代に、なるべく低価格で満足度の高い食事を提供することこそが、地域密着型食堂の使命だと考えているのだ。
また、大切にしている点として、できる限り客の注文を断らないという姿勢だという。広告宣伝にお金をかけない代わりに、客の要望にはできる限り応えるようにしている。無理を聞いてもらえたという経験が、客の満足度を高め、口コミにつながると考えているからだ。
また、大切にしている点として、できる限り客の注文を断らないという姿勢だという。広告宣伝にお金をかけない代わりに、客の要望にはできる限り応えるようにしている。無理を聞いてもらえたという経験が、客の満足度を高め、口コミにつながると考えているからだ。
気楽に訪れてほしい
取材の最後に、浩明さんが訪れるお客様に向けてメッセージを送った「気楽にお越しください」という言葉には、小さな家族経営の店ならではの温かみがある。人手が限られているため、混雑時には多少待たされることもあるかもしれない。手際が悪いと感じることもあるかもしれない。それでも大目に見て、気軽に訪れてほしいという思いが込められている。
海野屋は、派手な宣伝や洗練されたサービスを売りにする店ではない。70年以上続く伝統の味を守りながら、時代の変化に柔軟に対応してきた、地域に根ざした食堂だ。継ぎ足しのタレで煮込んだ煮サバ、銅板で焼く卵焼き、毎日変わる手作りの小鉢。どれも手間を惜しまず、丁寧に作られている。
三代にわたって地域の人々の食を支えてきた海野屋。時代の波に翻弄されながらも、変わらぬ味と柔軟な姿勢で、これからも松阪港の労働者の食を守り続けていくだろう。
海野屋は、派手な宣伝や洗練されたサービスを売りにする店ではない。70年以上続く伝統の味を守りながら、時代の変化に柔軟に対応してきた、地域に根ざした食堂だ。継ぎ足しのタレで煮込んだ煮サバ、銅板で焼く卵焼き、毎日変わる手作りの小鉢。どれも手間を惜しまず、丁寧に作られている。
三代にわたって地域の人々の食を支えてきた海野屋。時代の波に翻弄されながらも、変わらぬ味と柔軟な姿勢で、これからも松阪港の労働者の食を守り続けていくだろう。
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※記事の内容は、公開時点の情報です。記事公開後、メニュー内容や価格、店舗情報に変更がある場合があります。来店の際は、事前に店舗にご確認いただくようお願いします。
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