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豊かな自然に囲まれた昔懐かしい豆腐屋
松阪市の山あい、津・名張へと抜ける田舎道の途中に長年愛される「うーやん亭 坂井豆腐店」はある。市内外のスーパーや産直市場などへの卸しだけでなく、火・土曜日限定で豆腐懐石が食べられるランチ営業もしているお店だ。
1959年創業のうーやん亭の屋台骨を支えるのが、店主の谷口盛人さんと女将の好子さんご夫婦。好子さんはお話を聞いている間中、常に笑いの絶えないほどの親しみやすさと芯の強さが同居する看板女将である。そんな人柄が店の雰囲気につながっているように感じられた。
今回はそんなうーやん亭の歴史と魅力について紹介していこう。
1959年創業のうーやん亭の屋台骨を支えるのが、店主の谷口盛人さんと女将の好子さんご夫婦。好子さんはお話を聞いている間中、常に笑いの絶えないほどの親しみやすさと芯の強さが同居する看板女将である。そんな人柄が店の雰囲気につながっているように感じられた。
今回はそんなうーやん亭の歴史と魅力について紹介していこう。
豆腐屋で育った谷口好子さんの原点—受け継ぐまでの軌跡
谷口好子さんは豆腐屋の四女として生まれ育ち、幼い頃から仕事が生活の一部だった。「お釜の上で寝とった」と笑うほど、家業は身近な存在だった。昔ながらの火をくべる釜のそばで過ごし、家族が働く姿を間近で見て育ったという。四姉妹が協力して配達を手伝った記憶もあり、家庭と仕事が溶け合う環境が「うーやん亭」の空気を形づくっていった。
調理師学校、保育園勤務、家業への突然の呼び戻し
18歳で「継ぐなら知識が必要」と将来を見据えた選択をし、大川学園の調理師学校へ進学した。その後は学園運営の保育園で調理師として働いた。
「大量料理が好きでな。私とおばさんの2人で300人分つくっとった。今思えば考えられやんけど、機械化のおかげでやってこれたんさ」と振り返る。
ところが突然家業に戻ることが決まる。父と長女が園長に「辞めさせてほしい」と伝えてしまっていたのだ。「私知らなんだんさ。園長に“来年4月からもう来てもらわんでええでな”って言われてびっくりした」と好子さん。当時ならではの“家業最優先”の決断に戸惑い、泣きながらも受け入れたという。
好子さんは家業に戻った後、豆腐屋の仕事と並行して地域の子どもたちのための“寺子屋”も始めることにした。午前は豆腐屋、午後は塾という生活を続けながら、好子さんは自分の役割を果たし続けた。
「大量料理が好きでな。私とおばさんの2人で300人分つくっとった。今思えば考えられやんけど、機械化のおかげでやってこれたんさ」と振り返る。
ところが突然家業に戻ることが決まる。父と長女が園長に「辞めさせてほしい」と伝えてしまっていたのだ。「私知らなんだんさ。園長に“来年4月からもう来てもらわんでええでな”って言われてびっくりした」と好子さん。当時ならではの“家業最優先”の決断に戸惑い、泣きながらも受け入れたという。
好子さんは家業に戻った後、豆腐屋の仕事と並行して地域の子どもたちのための“寺子屋”も始めることにした。午前は豆腐屋、午後は塾という生活を続けながら、好子さんは自分の役割を果たし続けた。
店主、盛人さんの意外な過去
一方、盛人さんはもともと船乗りで航海士として働いていたが乗船機会が減り、親戚の勧めもあり23歳で料理学校へ進学。そこで18歳の好子さんと出会う。好子さんは22歳で豆腐屋に入りつつ盛人さんに会うため津の医療事務の学校へも通っていたが、家業を継ぐ事情から交際を家族に反対された時期もあった。それでも支え合う時間を積み重ねながらご両親を説得し、盛人さん28歳好子さん23歳の頃に結婚、翌年長女を迎える事となる。
子育て、豆腐屋、塾の三本柱で過ぎていく毎日に好子さんは「大変ではなく楽しかった。心の寄りどころやったんやろな」と振り返る。複数の役割があることで、気持ちを切り替えながら前向きに取り組めたという。
子育て、豆腐屋、塾の三本柱で過ぎていく毎日に好子さんは「大変ではなく楽しかった。心の寄りどころやったんやろな」と振り返る。複数の役割があることで、気持ちを切り替えながら前向きに取り組めたという。
盛人さんの料理修業と、家業を手伝う決断
盛人さんは津市の老舗割烹「茂波」や深夜営業の「車力」で修業を積み、昼夜問わず働く過酷な日々を送った。飲食業特有の深夜勤務により「子どもとの時間が全然持てへん」と悩み、好子さんの両親が体調を崩したことをきっかけに店を手伝う決意を固めた。好子さんは「みんなに頼まれたし、しゃあない(仕方ない)ししたろか、と引き受けてくれたのでは」と語る。
1990年、次女の誕生翌年に転身と同時に店を継ぐこととなった。深夜から朝方の生活への切り替えを支えるため、2週間の休みを取り初めての家族旅行もした。豆腐作りは別世界で、好子さんの両親から下働きとして一から学び、新体制が始まった。
1990年、次女の誕生翌年に転身と同時に店を継ぐこととなった。深夜から朝方の生活への切り替えを支えるため、2週間の休みを取り初めての家族旅行もした。豆腐作りは別世界で、好子さんの両親から下働きとして一から学び、新体制が始まった。
産直市場「きっする黒部」と事業拡大の転機
店が大きく発展する契機となったのが、JA直営の産直市場「きっする黒部」のオープンだ。
「豆腐を置いてほしい、と言われて。国産大豆100%を使いたかったお父さん(盛人さん)にとっては願ってもない話やった」と好子さんは語る。
きっする黒部を皮切りに、マックスバリュやオークワなど取り扱い店舗が増え、配達や生産量拡大のため従業員を雇い始めた。家族経営から、徐々に外部スタッフを含めた体制へと成長していった。
「豆腐を置いてほしい、と言われて。国産大豆100%を使いたかったお父さん(盛人さん)にとっては願ってもない話やった」と好子さんは語る。
きっする黒部を皮切りに、マックスバリュやオークワなど取り扱い店舗が増え、配達や生産量拡大のため従業員を雇い始めた。家族経営から、徐々に外部スタッフを含めた体制へと成長していった。
夫婦で支え合った35年と、次の10年へ
盛人さんは1956年生まれで、35歳から豆腐屋を本格的に手伝い、現在69歳。夫婦で支えてきた年月は35年を超え、「お父さんはちょうど折り返しや」と笑う。調理士として働き始めたものの、家族との時間が取れないことから料理屋を辞め、家業とともに家庭を守る道へ。好子さんは「お父さんあっての人生」と深い感謝を口にする。結婚40周年を迎え、50周年までは元気に働きながらもこれからは少しペースを落として夫婦の時間も楽しみたいという。
3種類のコースと“こだわりの天ぷら”を支える職人の技
うーやん亭では「幕の内:1,300円」「豆腐コース:1,400円」「湯葉コース:2,000円」の3種類を提供している。特に湯葉コースに含まれる天ぷらは、盛人さんが「絶対に自分しか揚げない」と言い切るほど。その美味しさは取材に訪れた芸能人にも高く評価されたという。
盛り付けにも厳格な基準があり、少し崩れただけでも妥協を許さない職人気質が貫かれている。修行時代の厳しい研鑽がその技術を支えているようだ。
盛り付けにも厳格な基準があり、少し崩れただけでも妥協を許さない職人気質が貫かれている。修行時代の厳しい研鑽がその技術を支えているようだ。
季節と食材の恵みを生かした日替わりの工夫
煮物の味付けや八寸の繊細さも高い評価を得ており、「少しずついろいろ食べられるのが女性に人気」と好子さんは話す。使用する具材も、季節ごとの食材を積極的に取り入れ、客からの差し入れで届く食材も活かしながら工夫を重ねている。
今回の白和えには柿がふんだんに入っていたりと、店はまさに“知恵の絞り合い”。日替わりで二度と同じものが出ない可能性もあるため、来店のたびに新しい発見があるのが魅力である。
今回の白和えには柿がふんだんに入っていたりと、店はまさに“知恵の絞り合い”。日替わりで二度と同じものが出ない可能性もあるため、来店のたびに新しい発見があるのが魅力である。
季節に寄り添い変化するメイン料理
季節に合わせてメイン料理は変化し、春と秋は汲み上げ豆腐、夏は「ざる豆腐」、冬は「豆乳鍋」が登場する。今の時期のコースの中心に据えるのは「汲み上げ豆腐」。豆腐屋を起点に成り立った店であるからこそ、最も味わってほしい一品だ。
うーやん亭の代表料理でもある汲み上げ豆腐はピーナッツが混ぜ込まれており、まずは何もつけずに味わってほしい一品だと好子さんは語る。素材の味を引き出す塩で食べるのもおすすめで、岩塩の相性が良い。薬味を添えて軽くタレを落としても楽しめる。
豆乳鍋は毎年提供を心待ちにする常連客も多い。提供開始時期を問い合わせる客もおり、「12月から3月ごろまで」が定番となっている。こうした季節感のある料理は、訪れるたびに異なる楽しみを生み、うーやん亭ならではの魅力となっている。
うーやん亭の代表料理でもある汲み上げ豆腐はピーナッツが混ぜ込まれており、まずは何もつけずに味わってほしい一品だと好子さんは語る。素材の味を引き出す塩で食べるのもおすすめで、岩塩の相性が良い。薬味を添えて軽くタレを落としても楽しめる。
豆乳鍋は毎年提供を心待ちにする常連客も多い。提供開始時期を問い合わせる客もおり、「12月から3月ごろまで」が定番となっている。こうした季節感のある料理は、訪れるたびに異なる楽しみを生み、うーやん亭ならではの魅力となっている。
うーやん亭の柱でもあるシフォンケーキ
うーやん亭では実はシフォンケーキの人気も高い。定番のプレーンやココアだけでなく、さつまいもや栗のシフォンなど季節の素材を使った“変わりシフォン”を求める声も多いという。
焼き立てふかふかのシフォンケーキには豆乳が練り込まれており、優しい甘さと軽い食感が小腹を満たすのにちょうどよい。原材料はたまご、豆乳、砂糖、小麦粉、水のみと至ってシンプル。筆者のおすすめはレモンピールと紅茶の2種類である。
焼き立てふかふかのシフォンケーキには豆乳が練り込まれており、優しい甘さと軽い食感が小腹を満たすのにちょうどよい。原材料はたまご、豆乳、砂糖、小麦粉、水のみと至ってシンプル。筆者のおすすめはレモンピールと紅茶の2種類である。
主婦の声から生まれたランチスタートのきっかけ
田舎のいち豆腐屋さんに、三重県全土からお客さんが殺到するランチができたのは2007年まで遡る。きっかけは店の目の前にある松阪市の子育て支援センターだった。お母さん方が店頭でシフォンケーキを食べながら「おやつだけやなくて“ご飯も食べたいわ”って言いはったの。私も軽く『お父さんに作ってもらおか』って返したのが始まり」と好子さん。
当初は店舗前の敷地内にある東屋で提供していたランチが予想以上の人気を集め、台風の日でもお客が来るほどとなった。敷地内2階の休憩室を改装しランチ客の席へと変えた。ランチ営業を始めて気づけば18年。「細々とやけど、毎日お客さんは来てくれる。そんなにバーッとは来やんけどね」と笑うが、その裏には長年続けることの大変さがにじむ。
当初は店舗前の敷地内にある東屋で提供していたランチが予想以上の人気を集め、台風の日でもお客が来るほどとなった。敷地内2階の休憩室を改装しランチ客の席へと変えた。ランチ営業を始めて気づけば18年。「細々とやけど、毎日お客さんは来てくれる。そんなにバーッとは来やんけどね」と笑うが、その裏には長年続けることの大変さがにじむ。
国産大豆100%の湯葉と豆腐づくりへのこだわり
好子さんが大切にしているのは、「ここでしか味わえない丁寧な豆腐づくり」である。大量には作れなくても、その味を求めて来てくれる客がいれば充分だという。京都で湯葉を食べ慣れた客からも「比べものにならないほど美味しい」と言われたことがあるという。
原料はJAから仕入れる国産大豆”ふくゆたか”を100%使用し、混ぜ物は一切しない。物価高の中でも「ここだけは絶対に譲れない」と話す。利益を削ってでも品質を守るのは、地域の豆腐屋としての誇りである。
原料はJAから仕入れる国産大豆”ふくゆたか”を100%使用し、混ぜ物は一切しない。物価高の中でも「ここだけは絶対に譲れない」と話す。利益を削ってでも品質を守るのは、地域の豆腐屋としての誇りである。
「うーやん亭」の名に込めた家族の思い
店名は元々「坂井豆腐店」だった。好子さんの父・坂井兎八さんのあだ名が「うーやん」であり、その名を残したいという思いが「うーやん亭」誕生のきっかけとなった。また、次女が小学生の頃に描いていた“うーちゃん”というキャラクターの物語も店名の決定に影響を与えている。
家族の歴史を残すため、先代の父が生きているうちに「おじいちゃんの名前をつけてもいいか」と尋ねた。ランチ営業を始めるための命名ではない。その思いが、店の根幹に静かに根づいている。
家族の歴史を残すため、先代の父が生きているうちに「おじいちゃんの名前をつけてもいいか」と尋ねた。ランチ営業を始めるための命名ではない。その思いが、店の根幹に静かに根づいている。
「親戚の家に遊びに来たみたい」と言われる店づくり
うーやん亭は、訪れた客が「親戚の家に遊びに来たみたいやな」と口にするという。会席スタイルでゆっくり過ごせる空気感、気さくに話せる雰囲気、そして好子さんとの距離の近さがその理由だ。
客は「近況報告」を自然と語り始める。旅行の話、子供が生まれた報告、家族の成長…赤ちゃんを連れて三世代で訪れる客も少なくない。好子さんは「いつも来たいと思える店、人懐っこい店」を目指している。そして、表に出る豆腐料理の味を支えるのは、寡黙で職人気質な盛人さんの存在だ。
店主の丁寧な仕事ぶりと、自身の大胆さ・おおらかさがうまくかみ合い、現在の「うーやん亭」の空気が生まれている。「私ら夫婦だから続けられるんやろ」と常連から言われたとき、「確かにそうかもしれん」と実感したと語る。大量生産の豆腐店とは異なり、「ここにしかない、うちにしかできない味」が支えられてきた背景には、家族の歴史があった。
客は「近況報告」を自然と語り始める。旅行の話、子供が生まれた報告、家族の成長…赤ちゃんを連れて三世代で訪れる客も少なくない。好子さんは「いつも来たいと思える店、人懐っこい店」を目指している。そして、表に出る豆腐料理の味を支えるのは、寡黙で職人気質な盛人さんの存在だ。
店主の丁寧な仕事ぶりと、自身の大胆さ・おおらかさがうまくかみ合い、現在の「うーやん亭」の空気が生まれている。「私ら夫婦だから続けられるんやろ」と常連から言われたとき、「確かにそうかもしれん」と実感したと語る。大量生産の豆腐店とは異なり、「ここにしかない、うちにしかできない味」が支えられてきた背景には、家族の歴史があった。
最後に、好子さんは「阪内町」という場所への想いを語ってくれた。「みんな知らんと思うけど、とってもいいところなんですよ」と微笑む。景色も、空気も、暮らしの雰囲気も良い。その中に「うーやん亭」があり、いつも笑顔でお客を迎えている。
「ここ来てよかったって思ってもらえるように接したい。ぜひ足を運んでください」。
その言葉には、豆腐づくりへの誇りと、地域・お客・従業員への深い愛情が込められている。
「ここ来てよかったって思ってもらえるように接したい。ぜひ足を運んでください」。
その言葉には、豆腐づくりへの誇りと、地域・お客・従業員への深い愛情が込められている。
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