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2025年7月にオープンした「またねって、ももぞので」は、オーナーであるゆきこさんの朗らかな人柄が魅力の空間だ。大きな窓から差し込む自然光と、ノスタルジックな空気感。ここは単なる飲食店ではなく、人々の日常に寄り添う特別な居場所となっている。
体調不良から始まった新たな人生の選択
子どもたちが中学生になり手が離れた45歳頃から、本格的に飲食業界へと足を踏み入れた。松阪の人気イタリアンレストラン「アバンティ」で7年間勤務した後、伊勢のフレンチレストランで1年半ほど働いた。
2月半ば、ふと「自分で何かを始めよう」という考えが浮かんだ。前から夢見ていたわけではない。むしろ体調を崩し始めた時期には自分が飲食店を開くなんて夢にも思っていなかった。しかし、「この年齢で、この体調で」、今やらなければいつやるのか。そんな切迫した思いが、彼女を行動へと駆り立てた。
わずか5ヶ月での開業準備
思い切りの良さは彼女の性格そのものだ。物件を決めたのが先で、喫茶店をやるというアイデアはふわっとしたものだった。大した料理はできないし、お酒もそれほど飲めない。しかし、食べることは好きで、おしゃれなカフェを巡るのも趣味だった。その経験が、喫茶店をするという選択を後押しした。
当初は6月半ばのオープンを予定していたが、工事の関係で結局オープンは7月にずれ込むことになった。オープン日は7月6日。奇しくもその前日は「日本が滅びる」という噂が流れていた日だった。破壊と再生の星が重なる日の翌日、新しいことを始めるには最適だという占い師の言葉を信じたという。
名物メニュー:鉄板ナポリタン
救いの手を差し伸べてくれたのは、昔一緒に働いていた料理人だった。ホテルでの勤務経験があり、大量調理のノウハウを持つその人物が、オープン直前に店を訪れてレクチャーしてくれた。喫茶店の狭い厨房での効率的な調理手順や下ごしらえの方法を詳しく教えてもらったという。
オープン後すぐ、三重県のインフルエンサーが鉄板ナポリタンを紹介してくれたことでナポリタンの注文が殺到した。数をこなすうちに腕は上達し、今では「ナポリタンが一番得意かも」と笑って言えるまでになった。質より量、習うより慣れろ。多くの人に助けられながら、看板メニューは完成した。
リストランテでの経験が生きるスイーツ
さらに、イタリアンレストランで働いていた時に出会ったカシスシャーベットを組み合わせることを思いついた。チョコレートの甘さをカシスの酸味が引き締める、フレンチやイタリアンの要素を感じさせる一皿が完成した。飾り付けに使用するドライオレンジも自家製だ。
コーヒーは名古屋のロースターから仕入れており、オリジナルブレンドについて話し合いながら決めている。自家焙煎の機械も購入し、家庭用ではあるが練習を重ねている。いつか自分で焙煎したコーヒーを提供したいという夢もある。
祖母から受け継いだ「桃園」という名前
祖母は体調を崩し、60代という若さでこの世を去ったという。4歳年上の姉は祖母の料理を覚えているというが、ゆきこさん自身にはその記憶がない。それでも、大好きだった祖母への想いは消えることなく、いつか「桃園」という名前を復活させたいという願いとなって心の中で育っていった。
店名に「またね」という言葉を加えたのには、さらに深い意味がある。関西人特有の別れ際の「またね」という言葉が、ゆきこさんは特に好きだという。「バイバイ」や「ありがとう」よりも、「またね」には必ず戻ってくるという約束が込められている。お客様との「またね」、そして祖母の「桃園」が再び帰ってきたという意味。複数の想いを重ね合わせた店名は、訪れる人々の記憶に残る印象的なものとなっている。
人が集い、つながる場所
オープンから半年が経ち、常連客の顔ぶれも定着してきた。会社員時代の同期や学生時代の同級生といった知り合いが訪れることも多く、何十年ぶりかに再会する光景も珍しくない。毎日が同窓会のようだと、ゆきこさんは笑う。
地元の常連客だけでなく、SNSを見て遠方から訪れる人も少なくない。Z世代のカップルが電車とバスを乗り継いで来店したこともある。「店名がZ世代に刺さる」と言ってくれた京都の女性と伊勢で働く男性のカップルは、お正月休みにわざわざ訪れてくれたそうだ。
日常のセーブポイントとして
「またねって、ももぞので」では、何時間でも喋っていてほしいという。満席になることが少なくないが、それ以上にお客様にホッとできる時間を過ごしてもらいたいという思いが強い。カウンター席では店主との会話を楽しみ、テーブル席では友人同士で女子会を開く。それぞれの使い方で、それぞれの時間を過ごす。わざと時計を置いていないのも、時間を忘れてゆっくりしてほしいからだ。
それぞれの生活リズムの中に、この店が組み込まれている。コーヒーを飲んで、会話をして、ちょっとガス抜きをして帰る。日常のルーティンの一部として、この場所が機能している。土日にはインスタグラムを見て訪れる新規客が増える。そのバランスが、店の雰囲気を豊かにしている。
笑顔が生み出す温かな空間
「またねって、ももぞので」は、単なる喫茶店ではない。大きな窓から差し込む光の中で、今日も誰かが「またね」と言って店を後にし、そしてまた必ず戻ってくる。そんな循環が、この店の日常を作り出している。体調を崩したことがきっかけで始まった挑戦は、今では多くの人の記憶に残る場所へと成長しつつある。ゆきこさんの笑顔と共に、この店はこれからも松阪の街で人々を迎え続けるだろう。