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松阪駅から車で5分程度のところに昔懐かしい佇まいの和食店「もり田」はある。地元の常連客から県外の食通まで、幅広い層に支持されているお店だ。昼は定番の定食や日替わりランチ、夜は店主の目利きにかなった魚料理や和食を楽しむことができる。
62歳の店主・森田雅文さんが営むこの店は、四半世紀以上の歴史を持つ。先代の雅文さんの父が大衆食堂として創業し、雅文さんが和食割烹へと進化させていった。そんなもり田のこれまでを紐解いていこう。
62歳の店主・森田雅文さんが営むこの店は、四半世紀以上の歴史を持つ。先代の雅文さんの父が大衆食堂として創業し、雅文さんが和食割烹へと進化させていった。そんなもり田のこれまでを紐解いていこう。
調理学校から始まった料理人としての道
森田さんの料理人としてのキャリアは、津の調理学校での1年間の学びから始まった。卒業後、彼は松阪市内の割烹「彦兵衛」に就職し、和食の基礎を10年間かけて徹底的に学んだ。この修業時代は、単に調理技術を磨くだけでなく、食材の目利きや季節感の表現、そして客との対話の重要性を体得する貴重な期間となった。
当時から森田さんの心には、いつか自分の店を持ちたいという明確な目標があった。しかし、10年間の修業を終えた後に彼は予想外の展開を迎えることになる。父親が営んでいた大衆食堂の場所で、総合病院の建設現場向けの弁当製造を任されることになったのだ。
当時から森田さんの心には、いつか自分の店を持ちたいという明確な目標があった。しかし、10年間の修業を終えた後に彼は予想外の展開を迎えることになる。父親が営んでいた大衆食堂の場所で、総合病院の建設現場向けの弁当製造を任されることになったのだ。
弁当事業という予期せぬ挑戦
プレハブ小屋を建て、毎日70〜80個の弁当を作る日々が始まった。割烹での修業とは、求められる感覚もリズムもまったく異なる挑戦である。弁当製造の最大の特徴は、何よりも時間との厳しい戦いにあった。決められた時間までに必ず完成させ、配達まで終えなければならない。通常の飲食店のように開店時間を待つ余裕はなく、すべての準備を少なくとも1時間以上早く完了させる必要があった。
なかでも強く印象に残っているのが、炊飯器の故障でご飯が炊けなかった日の出来事である。おかずだけを届けるわけにはいかず、現場では即座の判断と対応が求められた。こうした予期せぬトラブルへの対処力も、この時期に自然と身についていった貴重なスキルの一つだ。
なかでも強く印象に残っているのが、炊飯器の故障でご飯が炊けなかった日の出来事である。おかずだけを届けるわけにはいかず、現場では即座の判断と対応が求められた。こうした予期せぬトラブルへの対処力も、この時期に自然と身についていった貴重なスキルの一つだ。
病院の建設が完了した後も、弁当事業はそのまま継続された。地元企業へ足を運んで営業を重ね、知人のネットワークも活用しながら少しずつ顧客を増やしていった。その結果、この弁当事業は現在まで30年以上にわたって続き、もり田の経営を支える重要な柱となっている。
弁当製造を軌道に乗せた後も、森田氏は料理人としての研鑽を止めることはなかった。弁当の製造数をあえて減らし、夜は別の料理店でアルバイトとして働きながら、さまざまな店を実際に見て回ったのである。こうした数年間は、将来、自身の店を持つための準備期間として、極めて重要な意味を持っていた。
異なる店で働くことで、それぞれの店が持つ特色や経営方針、さらには客層への向き合い方までを学ぶことができた。単に調理技術を磨くだけにとどまらず、経営者の視点を身につけるための、かけがえのない時間でもあった。
弁当製造を軌道に乗せた後も、森田氏は料理人としての研鑽を止めることはなかった。弁当の製造数をあえて減らし、夜は別の料理店でアルバイトとして働きながら、さまざまな店を実際に見て回ったのである。こうした数年間は、将来、自身の店を持つための準備期間として、極めて重要な意味を持っていた。
異なる店で働くことで、それぞれの店が持つ特色や経営方針、さらには客層への向き合い方までを学ぶことができた。単に調理技術を磨くだけにとどまらず、経営者の視点を身につけるための、かけがえのない時間でもあった。
35歳での独立と店舗開業
35歳のとき、森田氏はついに自分の店を持つ決断をした。父親が長年営んでいた大衆食堂とは別に、新たに店舗を建設することにしたのだ。当初は「割烹」として、格式を重んじた店作りを目指した。刺身や季節の料理を提供し、客にゆっくりと酒を楽しんでもらう空間を作りたいと考えていた。
しかし、当初は現在の敷地の半分しか確保できず、理想的なレイアウトを実現することができなかった。3年後に隣接地が売りに出されたため購入し、現在の広々とした駐車場を確保することができたが、建物自体のレイアウトは当初の制約の影響を受けたものとなった。
しかし、当初は現在の敷地の半分しか確保できず、理想的なレイアウトを実現することができなかった。3年後に隣接地が売りに出されたため購入し、現在の広々とした駐車場を確保することができたが、建物自体のレイアウトは当初の制約の影響を受けたものとなった。
開業当初は割烹としての格式を重視していたが、次第に客層や地域のニーズに合わせて店の方向性を調整。メニューも徐々に大衆的なものを増やし、定食類を充実させていった。
現在の店では、カウンター席には常連客が座り、店主との会話を楽しみながら酒と料理を味わう。一方、テーブル席では家族連れが定食を囲み、和やかな時間を過ごす。夜の時間帯でも定食を注文する客が多く、年齢層も幅広い。当初想定していた「酒を飲む大人の店」という枠を超え、地域の人々の日常に寄り添う店へと進化を遂げたのである。
現在の店では、カウンター席には常連客が座り、店主との会話を楽しみながら酒と料理を味わう。一方、テーブル席では家族連れが定食を囲み、和やかな時間を過ごす。夜の時間帯でも定食を注文する客が多く、年齢層も幅広い。当初想定していた「酒を飲む大人の店」という枠を超え、地域の人々の日常に寄り添う店へと進化を遂げたのである。
職人の技が光る多様なメニュー
定食のおすすめを尋ねると、森田さんが真っ先に挙げたのが「エビフライ定食」だ。特大の有頭海老が2匹も付くこの定食は、見た瞬間に強いインパクトを与える。さくっとした衣の中に、プリプリとした食感のエビフライが収まり、さらに茶碗蒸しと小鉢まで付く充実した内容となっている。
もう一つの人気メニューが、1200円のサービスランチである。メイン料理が2品に加え、揚げ物、小鉢、刺身まで付いてこの価格という点は、驚くほどリーズナブルだ。メイン料理は、その日の仕入れ状況を見極めて決められ、アジやイワシ、スズキなど、旬で状態の良い魚が選ばれる。それぞれの素材に最適な調理法で提供されるのも、この店ならではの魅力と言える。
来店する客層は、サラリーマンから主婦のグループ、高齢のご夫婦まで実に幅広い。食事を楽しみながら会話もゆっくりと味わうため、長時間滞在する客が多いのも特徴だ。一方で、弁当事業も現在まで変わらず継続されている。
もう一つの人気メニューが、1200円のサービスランチである。メイン料理が2品に加え、揚げ物、小鉢、刺身まで付いてこの価格という点は、驚くほどリーズナブルだ。メイン料理は、その日の仕入れ状況を見極めて決められ、アジやイワシ、スズキなど、旬で状態の良い魚が選ばれる。それぞれの素材に最適な調理法で提供されるのも、この店ならではの魅力と言える。
来店する客層は、サラリーマンから主婦のグループ、高齢のご夫婦まで実に幅広い。食事を楽しみながら会話もゆっくりと味わうため、長時間滞在する客が多いのも特徴だ。一方で、弁当事業も現在まで変わらず継続されている。
季節ごとの味わいと職人技
季節によって提供する料理も大きく変わる。冬は鍋料理が人気で、黒板メニューに様々な鍋が登場する。夏はさっぱりとした魚料理が中心となり、ハモなどの季節の魚が活躍する。特にハモの調理には強いこだわりがある。生きたハモを生け簀で管理し、注文が入ってから捌いて骨切りをする。この手間を惜しまない姿勢が、他店では味わえない鮮度と食感を生み出している。
面白い話として、サワラは漢字では「鰆」と書き春を連想させるが、森田氏によれば最も美味しいのは秋から冬にかけてだという。この時期のサワラは脂が乗り、刺身でも焼き物でも絶品だという。こうした魚の旬に関する深い知識も、長年の経験から得られたものである。
面白い話として、サワラは漢字では「鰆」と書き春を連想させるが、森田氏によれば最も美味しいのは秋から冬にかけてだという。この時期のサワラは脂が乗り、刺身でも焼き物でも絶品だという。こうした魚の旬に関する深い知識も、長年の経験から得られたものである。
食材へのこだわり
森田氏の料理の最大の特徴は、天然素材へのこだわりにある。毎朝、中央市場に足を運び最良のものを選び抜く。店内の黒板には、その日に仕入れた魚が書かれているが、客の多くは直接店主に尋ねる。同じ日に仕入れた魚でも、店主が特に自信を持って勧められるものがあるからだ。この客との対話を通じた料理の提供スタイルが、店の大きな魅力となっている。
魚介類だけでなく、野菜へのこだわりも特筆すべきものがある。森田さんの父親は現在も野菜作りを続けており、季節ごとの旬の野菜を店に提供している。特徴的なのは、できる限り農薬を使わない栽培方法を採用していることだ。冬の白菜や大根、春の筍など、季節ごとに異なる野菜が父親の畑から届く。旬の野菜については可能な限り父親が育てたものを使用する。この食への情熱が、店の料理に深みと温かみを与えているのだ。
次世代への継承という課題
現在最も気にかけているのが店の将来についてだ。孫が名古屋の調理学校に通っており、将来的に店を継いでくれる可能性があるという。しかし、料理人という職業の厳しさを、森田氏は誰よりも理解しているからこそ、まず他の店で経験を積むよう勧めている。単に雇われ料理人として働くのであれば、他の職業を選んだ方が経済的には恵まれているかもしれない。
それでも、代々培ってきた食への情熱と技術を、次の世代に継承したいという思いは強い。父親から受け継いだ大衆食堂の精神、自身が磨き上げた和食の技術、そして地域に根ざした店作りの理念。これらすべてを次世代に伝えることが、現在の森田さんの大きな目標となっている。
それでも、代々培ってきた食への情熱と技術を、次の世代に継承したいという思いは強い。父親から受け継いだ大衆食堂の精神、自身が磨き上げた和食の技術、そして地域に根ざした店作りの理念。これらすべてを次世代に伝えることが、現在の森田さんの大きな目標となっている。
地域に愛される店であり続けるために
「美味しい刺身を食べたかったら、ぜひ来てほしい」と森田氏は語る。その日その日に仕入れた天然の魚を、最高の状態で提供する。これが店の最大の魅力であり、変わらぬ信念だ。メニューに載っていない魚でも、市場で良いものが手に入れば、黒板に書いて提供する。逆に、仕入れができなければ、正直にないと伝える。
この誠実な姿勢が、25年以上にわたって地域の人々に愛され続ける理由なのだろう。時代の変化に柔軟に対応しながらも、食材へのこだわりと料理への情熱は決して変わらない。大衆食堂から始まり、割烹を経て、現在の地域密着型の和食店へ。形は変わっても、美味しい料理を提供したいという思いは、世代にわたって受け継がれている。
松阪市の静かな一角で、今日も森田氏は市場に足を運び、最良の食材を選び、客との対話を楽しみながら料理を提供している。その姿は、真の料理人とは何かを静かに、しかし力強く語りかけているようだ。
この誠実な姿勢が、25年以上にわたって地域の人々に愛され続ける理由なのだろう。時代の変化に柔軟に対応しながらも、食材へのこだわりと料理への情熱は決して変わらない。大衆食堂から始まり、割烹を経て、現在の地域密着型の和食店へ。形は変わっても、美味しい料理を提供したいという思いは、世代にわたって受け継がれている。
松阪市の静かな一角で、今日も森田氏は市場に足を運び、最良の食材を選び、客との対話を楽しみながら料理を提供している。その姿は、真の料理人とは何かを静かに、しかし力強く語りかけているようだ。
もり田
〒515-0818
三重県松阪市川井町1028
水曜日
11:30〜14:00
17:00〜22:00
月曜日
定休日
火曜日
11:30〜14:00
17:00〜22:00
水曜日
11:30〜14:00
17:00〜22:00
木曜日
11:30〜14:00
17:00〜22:00
金曜日
11:30〜14:00
17:00〜22:00
土曜日
11:30〜14:00
17:00〜22:00
日曜日
11:30〜14:00
17:00〜22:00
0598-23-1420
席数
33席(カウンター×13、テーブル:4名掛け×2、6名掛け×2)※2階宴会場:40〜50名
L.O.
ランチ:13:30、ディナー:21:30
定休日
月曜
最寄駅
松阪駅より車で5分
支払方法
現金のみ
平均予算
1,000〜2,000円
駐車場
店前40台
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※記事の内容は、公開時点の情報です。記事公開後、メニュー内容や価格、店舗情報に変更がある場合があります。来店の際は、事前に店舗にご確認いただくようお願いします。
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