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父から受け継いだ店を、まったく新しい形へ
三重県松阪市の住宅街に佇む焼肉店「ホルモン一平」。重厚な引き戸を開けた瞬間、訪れる者は予想外の空間に驚かされる。昔ながらのホルモン焼き屋を想像していた客は、そこで目にするのは洗練された和モダンの内装だ。ネオン管の淡い光、アンティークの鏡、ヴィンテージソファ。一見バラバラに見える要素が、不思議な調和を生み出している。
店主の長島正泰さん(48歳)は、この独特な空間を「アメリカ人が勘違いして作った和風」と表現する。「アメリカンチョッパーのカルチャー」と「日本の古いものへの愛着」。相反するように見える二つの要素を、彼は見事に融合させた。
店内には、昔の工場で使われていたライトや、和風建築としては珍しい細めの板材など、細部にまで意図的な「ズレ」が仕込まれている。本来の和の設計からは外れている要素も多いが、それが逆に独特の雰囲気を生み出している。ネオン管を思わせるサイバーパンク的な印象と、無骨で男らしい質感が同居しつつ、全体としては落ち着いたトーンに収まっているのが特徴だ。
店内には、昔の工場で使われていたライトや、和風建築としては珍しい細めの板材など、細部にまで意図的な「ズレ」が仕込まれている。本来の和の設計からは外れている要素も多いが、それが逆に独特の雰囲気を生み出している。ネオン管を思わせるサイバーパンク的な印象と、無骨で男らしい質感が同居しつつ、全体としては落ち着いたトーンに収まっているのが特徴だ。
散りばめられたアンティークが語る店主のこだわり
京都にあるアンティークショップに何度も通い、鏡や装飾品、さらには個室のソファーに至るまで、業者任せにせず長島さん自身が足を運び、目で見て選び抜いてきた。個室に並ぶソファーは1950年代のビンテージで統一され、いわゆるミッドセンチュリーと呼ばれる時代のものが中心だ。流行やテーマ性よりも、「自分が本当に好きなもの」を基準に集めてきた結果、現在の空間が形づくられている。
この店は今年で創業50年を迎える。父親が友人から譲り受けたこの場所で始めた焼肉店を、正泰さんは約8年前に正式に引き継いだ。しかし、彼が継承したのは店の名前と場所だけ。提供する料理、店の雰囲気、そして経営理念まで、すべてを根本から変革した。その変化は、常連客が戸惑うほど劇的なものだった。
この店は今年で創業50年を迎える。父親が友人から譲り受けたこの場所で始めた焼肉店を、正泰さんは約8年前に正式に引き継いだ。しかし、彼が継承したのは店の名前と場所だけ。提供する料理、店の雰囲気、そして経営理念まで、すべてを根本から変革した。その変化は、常連客が戸惑うほど劇的なものだった。
扉を開ける前から始まる「ワクワク感」の演出
店内でひときわ存在感を放っているのはホルモン一平の入口には、重厚感のある引き戸が設えられている。蔵戸は、実際に百年ほど前の本物の蔵戸を購入し、設置したものだという。
外から店内の様子が見えない構造にしたのも、長島さんの狙いの一つだ。扉を開ける瞬間に「中はどうなっているのだろう」という期待感を持ってほしかったのだという。
外から店内の様子が見えない構造にしたのも、長島さんの狙いの一つだ。扉を開ける瞬間に「中はどうなっているのだろう」という期待感を持ってほしかったのだという。
洋食への夢から、焼肉店への帰還
正泰さんの料理人としての道のりは、意外なところから始まっている。高校卒業後、大阪の調理専門学校に進学した彼が目指していたのは、焼肉店ではなく洋食屋だった。1,000円から1,500円でお腹いっぱいになれる、それでいてしっかりとした食材を使った洋食屋。それが彼の夢だった。
専門学校を卒業後、大阪の本町と北新地のレストランで計6年間ほど修業を積んだ。修業時代の生活は決して楽ではなかったという。給料は15万円に満たず、社会保険もない状態。月末に手元に残るのはわずか5千円ということもあった。生活費を稼ぐため、レストランでの勤務が終わった後、深夜まで居酒屋でアルバイトをする日々が続いた。朝8時に家を出て、帰宅するのは深夜2時過ぎ。そんな生活を送りながらも、彼は洋食の技術を磨き続けた。
転機が訪れたのは26歳の時。松阪に帰省するたびに、父親の白髪が増えていくのが目に留まった。洋食屋を開く夢と、家業を継ぐ現実。悩んだ末、彼は松阪に戻る決断をする。
専門学校を卒業後、大阪の本町と北新地のレストランで計6年間ほど修業を積んだ。修業時代の生活は決して楽ではなかったという。給料は15万円に満たず、社会保険もない状態。月末に手元に残るのはわずか5千円ということもあった。生活費を稼ぐため、レストランでの勤務が終わった後、深夜まで居酒屋でアルバイトをする日々が続いた。朝8時に家を出て、帰宅するのは深夜2時過ぎ。そんな生活を送りながらも、彼は洋食の技術を磨き続けた。
転機が訪れたのは26歳の時。松阪に帰省するたびに、父親の白髪が増えていくのが目に留まった。洋食屋を開く夢と、家業を継ぐ現実。悩んだ末、彼は松阪に戻る決断をする。
肉には触れずに店の基盤を支えた裏方の仕事、そして独立へ
帰郷後の約20年間、正泰さんは父親と共に働く事となった。教えるというより、見て盗めというスタイル。正泰さんは父親の仕事ぶりを観察しながら、独自に技術を習得していった。
興味深いことに、正泰さんは肉の扱いについてはほとんど父親から直接指導を受けていない。担当していたのは、ご飯の炊き方、ドレッシング、スープ、そしてタレなど、肉以外の部分で店の味を支える基礎的な要素を少しずつ改良していった。
父親は昔ながらの職人気質。頑固なところも多かったため、基本的には父親の領域には踏み込まず、自分の手の届くところを納得できるまで改良を続けたのである。8年前、父親が高齢により正泰さんが正式に店を継ぐこととなる。そうして一つの時代が静かに終わりを迎え、ホルモン一平は正泰さんにより本格的な改革が始まった。
興味深いことに、正泰さんは肉の扱いについてはほとんど父親から直接指導を受けていない。担当していたのは、ご飯の炊き方、ドレッシング、スープ、そしてタレなど、肉以外の部分で店の味を支える基礎的な要素を少しずつ改良していった。
父親は昔ながらの職人気質。頑固なところも多かったため、基本的には父親の領域には踏み込まず、自分の手の届くところを納得できるまで改良を続けたのである。8年前、父親が高齢により正泰さんが正式に店を継ぐこととなる。そうして一つの時代が静かに終わりを迎え、ホルモン一平は正泰さんにより本格的な改革が始まった。
松阪牛を使わない、松阪の焼肉店
正泰さんの最も大胆な決断は、松阪牛をメインで扱わないという選択だった。松阪市という土地柄、松阪牛を使うのが当然と思われる中で、これは極めて異例の判断だ。しかし、彼にはそうする明確な理由があった。長島さんが大切にしているのはうまい赤身を食べた後に残る満足感である。
松阪牛は、脂がうまいというのが長島さんの評価だ。確かに美味しいが、食べた後に胃がもたれる。その食後感が、彼の理想とする焼肉とは合わなかった。長島さんがお客さんに食べてほしかったのは「赤身がうまい」肉だったのだ。
松阪牛は、脂がうまいというのが長島さんの評価だ。確かに美味しいが、食べた後に胃がもたれる。その食後感が、彼の理想とする焼肉とは合わなかった。長島さんがお客さんに食べてほしかったのは「赤身がうまい」肉だったのだ。
たどり着いた理想の牛肉
そこで正泰さんが選んだのが、三重県産の二つのブランド牛だった。一つは大紀町の「御伊勢牛」、もう一つは熊野の「美熊野牛」。どちらも個人ブランドで、生産者のこだわりが詰まった牛肉だ。これらの肉は、脂に頼らない、非常にさっぱりとした味わいが特徴である。
「くどさがなくて、それでいて旨味はちゃんとある」。このバランスこそが、長島さんが求めてきた牛肉像だった。
「くどさがなくて、それでいて旨味はちゃんとある」。このバランスこそが、長島さんが求めてきた牛肉像だった。
この方針転換は、当初大きなリスクを感じながらだったという。しかし実際に食べた客の反応は期待以上のものであった。提供した肉を口にした瞬間、「お肉で感動したのは初めて」と言われたという。こうした体験は、長島さんにとって大きな確信となった。以前から「松阪牛はくどい」と言われることは少なからずあったが、それを裏付ける形で、“本当に良い肉はくどくない”という考えが、お客様からの言葉として返ってきたのだ。
この感覚を、一人でも多くの人に知ってほしい。その思いが、今のホルモン一平の軸になっている。
この感覚を、一人でも多くの人に知ってほしい。その思いが、今のホルモン一平の軸になっている。
霜降りに疲れた人へ、新しい選択肢を
現在、一平ホルモンの客層は徐々に変化している。昔ながらの常連客は減ったが、新しいファンが確実に増えている。それは、「本当に美味しい肉」を求める人々だ。A5信仰に疑問を持ち始めた人、そして単純に新しい味を求める人。
正泰さんは、自分の店が地域に完全に受け入れられているとは思っていない。むしろ、この土地には合っていないかもしれないとさえ考えている。しかし、それでも彼は自分の信念を貫く。なぜなら、実際に食べた客の反応が、彼の選択が正しかったことを証明しているからだ。
市内の焼肉店に通っていた客が、常連客となってくれる。強面の風貌で入ってきた客が、食事が進むにつれて機嫌が良くなり、最後は笑顔で「ありがとう」と言って帰っていく。そんな光景を目にするたび、正泰さんは自分のやり方が間違っていないと確信する。
彼の夢は、いつか自分だけの牛を育てることだ。ここでしか食べられない、完全にオリジナルの牛肉。それは壮大な夢だが、不可能ではないと考えている。もちろん、資金も人手も必要だが、それは彼のこだわりの最終形態と言えるかもしれない。
正泰さんは、自分の店が地域に完全に受け入れられているとは思っていない。むしろ、この土地には合っていないかもしれないとさえ考えている。しかし、それでも彼は自分の信念を貫く。なぜなら、実際に食べた客の反応が、彼の選択が正しかったことを証明しているからだ。
市内の焼肉店に通っていた客が、常連客となってくれる。強面の風貌で入ってきた客が、食事が進むにつれて機嫌が良くなり、最後は笑顔で「ありがとう」と言って帰っていく。そんな光景を目にするたび、正泰さんは自分のやり方が間違っていないと確信する。
彼の夢は、いつか自分だけの牛を育てることだ。ここでしか食べられない、完全にオリジナルの牛肉。それは壮大な夢だが、不可能ではないと考えている。もちろん、資金も人手も必要だが、それは彼のこだわりの最終形態と言えるかもしれない。
細部へのこだわりが生む、唯一無二の味
正泰さんのこだわりは、肉の選定だけにとどまらない。塩一つとっても、彼は妥協しない。店で提供される塩は三種類ある。一つは昆布出汁を煮詰めて作った昆布塩。もう一つは松阪茶を使った結晶塩。そして三つ目は、松阪山椒を使った山椒胡椒だ。すべて店内で手作りされている。
ぬか漬けも自家製で、季節ごとに漬ける野菜を変える。新生姜の甘酢漬けのナムル、夏野菜のピリ辛ナムル、柿のナムル。焼肉という季節感の出にくい料理だからこそ、サイドメニューで季節を感じてもらいたいという思いがある。
ぬか漬けも自家製で、季節ごとに漬ける野菜を変える。新生姜の甘酢漬けのナムル、夏野菜のピリ辛ナムル、柿のナムル。焼肉という季節感の出にくい料理だからこそ、サイドメニューで季節を感じてもらいたいという思いがある。
さらには、長年の月日をかけて納得のできる肉を探して試行錯誤を繰り返した結果、とうとう納得できるユッケを提供できるに至ったという。最近(25年12月)販売開始にもかかわらず、数人で来られたお客さんが人数分を注文されることもあるほど大盛況だ。
「やっぱりみんな生肉好きやねんなぁ‥」と正泰さんが驚嘆の声を漏らしていたのが印象的である。
「やっぱりみんな生肉好きやねんなぁ‥」と正泰さんが驚嘆の声を漏らしていたのが印象的である。
彼が最も嫌うのは、「美味しい素材を買ってきました、だから美味しいでしょう」という姿勢だ。そのまま出すだけでは、誰にでもできる。だから彼は、素材に必ず手を加える。昆布出汁を煮詰めて塩を作る手間、松阪茶を結晶化させる工程、山椒と胡椒を合わせる試行錯誤。これらすべてが、彼のオリジナリティを形作っている。
「濃くないけど、ちゃんと美味しい」締めの一杯
ホルモン一平では〆として麺類もメニューに加わっている点には驚かされる。当初は端材のひき肉を活用するためにものは試しで始めた試みだったが、凝り性の正泰さんである。それで済むはずがなかった。
以前提供していた12時間かけて炊く鶏白湯スープを使ったラーメンは手間がかかりすぎたため、より手軽な混ぜそばへと進化させるなど、様々なチャレンジを試している。現在提供している「醤油ラーメン」は、焼肉を食べた後にでもサラッと食べられる、締めの一杯として人気である。濃厚さで押す料理ではないが、それを好む客層には確実に刺さっている。
焼肉屋でありながら、締めまで含めて“体に残らない美味しさ”を追求する。その姿勢は肉選びから最後の一杯にまで一貫しているのだ。
以前提供していた12時間かけて炊く鶏白湯スープを使ったラーメンは手間がかかりすぎたため、より手軽な混ぜそばへと進化させるなど、様々なチャレンジを試している。現在提供している「醤油ラーメン」は、焼肉を食べた後にでもサラッと食べられる、締めの一杯として人気である。濃厚さで押す料理ではないが、それを好む客層には確実に刺さっている。
焼肉屋でありながら、締めまで含めて“体に残らない美味しさ”を追求する。その姿勢は肉選びから最後の一杯にまで一貫しているのだ。
こだわりはやがて新店舗に
麺類の試行錯誤をしていた時、一番初めに出したのは担々麺だった。芝麻醤やラー油など、それぞれの材料を手作りし、納得のいっぱいに作り上げる。その手間の掛け様には、「専門店でやるならいいけどな…」と思うほどだったという。
その味に感動し、「ぜひこの味で店を出したい」と知り合いが手を上げることとなった。結果として、市内にて共同経営という形で「麺処IPPEI」はスタートすることとなったのである。
その味に感動し、「ぜひこの味で店を出したい」と知り合いが手を上げることとなった。結果として、市内にて共同経営という形で「麺処IPPEI」はスタートすることとなったのである。
変化を恐れず、進化し続ける店
ホルモン一平は、今も進化を続けている。季節ごとのナムル、試行錯誤を重ねる麺、そして日々変わる肉のラインナップ。正泰さんは、客に「面白い」と思ってもらいたいという思いを持っている。普通にあるものを売るのではなく、ひとひねり加えたものを提供したい。その姿勢が、一平ホルモンを唯一無二の店にしている。
春にはリフォームを予定しており、それに合わせてコース料理の導入も計画している。一品一品を丁寧に提供し、肉の魅力を最大限に引き出す。それは、彼の料理哲学の集大成となるだろう。
洋食屋を目指していた若き日の夢は、形を変えて実現しつつある。デミグラスソースの代わりに昆布塩を、洋食の技法の代わりに独自の肉のさばき方を。
正泰さんは言う。「霜降りに疲れた人、どうぞ」と。それは、彼の店の本質を端的に表す言葉だ。脂の甘ったるさではなく、肉本来の旨味を。見た目の美しさではなく、食べた時の満足感を。そして何より、食事を通じた本物の感動を。
松阪牛の本場で松阪牛を使わない焼肉店。一見矛盾しているようで、実は最も誠実な選択かもしれない。なぜなら、正泰さんが追求しているのは、ブランドではなく本当の美味しさだからだ。その姿勢は、少しずつ、しかし確実に、人々に伝わり始めている。
創業50年を迎える一平ホルモンは、今、新たな50年に向けて歩み始めている。それは、伝統の継承ではなく、伝統の革新だ。そして、その革新こそが、この店を次のステージへと導いていくのだろう。
春にはリフォームを予定しており、それに合わせてコース料理の導入も計画している。一品一品を丁寧に提供し、肉の魅力を最大限に引き出す。それは、彼の料理哲学の集大成となるだろう。
洋食屋を目指していた若き日の夢は、形を変えて実現しつつある。デミグラスソースの代わりに昆布塩を、洋食の技法の代わりに独自の肉のさばき方を。
正泰さんは言う。「霜降りに疲れた人、どうぞ」と。それは、彼の店の本質を端的に表す言葉だ。脂の甘ったるさではなく、肉本来の旨味を。見た目の美しさではなく、食べた時の満足感を。そして何より、食事を通じた本物の感動を。
松阪牛の本場で松阪牛を使わない焼肉店。一見矛盾しているようで、実は最も誠実な選択かもしれない。なぜなら、正泰さんが追求しているのは、ブランドではなく本当の美味しさだからだ。その姿勢は、少しずつ、しかし確実に、人々に伝わり始めている。
創業50年を迎える一平ホルモンは、今、新たな50年に向けて歩み始めている。それは、伝統の継承ではなく、伝統の革新だ。そして、その革新こそが、この店を次のステージへと導いていくのだろう。
ホルモン一平
〒515-0832
三重県松阪市丹生寺町95−1
木曜日
11:00〜21:00
月曜日
11:00〜21:00
火曜日
11:00〜21:00
水曜日
定休日
木曜日
11:00〜21:00
金曜日
11:00〜21:00
土曜日
11:00〜21:00
日曜日
11:00〜21:00
0598-58-1295
席数
32席(座敷4名掛け×4、テーブル4名掛け×3、4名個室×1)
定休日
水曜
最寄駅
松阪駅より車で20分
支払方法
クレジットカード、電子決済、QR決済各種可
平均予算
ランチ:3,000円〜、ディナー:5,000円〜
駐車場
店前10台
その他
※個室は別途3,000円のルームチャージがかかります。
営業時間に関する注意事項
14-17時にお休みをいただく場合がございます。詳しくはInstagramまで
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※記事の内容は、公開時点の情報です。記事公開後、メニュー内容や価格、店舗情報に変更がある場合があります。来店の際は、事前に店舗にご確認いただくようお願いします。
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