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きょうの作家さん
郡司庸久
1977年栃木県生まれ。2001年から栃木県窯業指導所にて陶芸を学び、2003年に独立。栃木県足尾(現在の日光市)に窯を開く。2005年には夫婦共同の窯を持ち、2015年、12年間作陶した足尾から益子町に窯を移転。
郡司慶子
1976年福岡県生まれ。多摩美術大学絵画科油画専攻陶芸クラスを卒業。栃木県益子市に移り住み、2002年から栃木県窯業指導所にて陶芸を学ぶ。夫・庸久さんと出会い、2004年から共同で制作を続ける。
古い記憶か、遠い異国の思い出か。やわらかくあたたかい器たち。
ツヤやかであたたかみのある飴釉の型打ちの器、つるりとなめらかな白磁のカップ、さらりとマットな質感の灰釉の器。益子で作陶される郡司庸久さん・慶子さんご夫妻の作品は、素材や製法が異なるもの同士でもしっくりなじむ、やわらかな空気をまとったものばかり。
現代を代表する人気作家の生の声をお届けし、作品の魅力に迫る連載第4回。今回は、郡司ご夫妻へインタビューをおこない、器づくりのなかで日々感じていらっしゃること、器づくりの道へ進まれたきっかけなどを聴かせていただきました。おふたりらしい器の活用法と合わせて、貴重なコメントをご紹介します。
「気づけば、自然と益子に行きついていた」
9月のよく晴れた日、栃木県・益子町の郡司ご夫妻の工房へうかがいました。東京から電車で2時間ほどの距離ですが、サワサワと波打つ黄金色の稲穂を眺めていると、はるか遠くまで来たような。穏やかな気持ちに包まれます。
この益子の地で、庸久さんがろくろや型で成形を、妻・慶子さんが絵付けやイッチン、陶彫などの装飾部分を担当し、夫婦共同で作品をつくられています。まずは、器づくりの道に進まれたきっかけからうかがっていきましょう。
ーー庸久さんは栃木県足尾が地元なんですよね。産地のある栃木県で、器づくりを専門的に学ばれていたんですか?
庸久さん「大学は全く関係ない学部でした。勉強も全然していませんでしたが(笑)。元々、親が陶芸をやっていまして。
おじいさんと父親が足尾で焼き物をはじめたんです。おじいさんは元々、足尾銅山で働いてたんですが、閉山して仕事がなくなって。絵を描くのと焼き物が好きな人で。同じ県に益子という場所があったので、益子にある窯業指導所から来てくれる先生から技術指導を受けながらつくり始めたんです」
慶子さん「県の施設なので、焼き物の技術を残すために指導したり、焼き物屋さんの相談に乗ったり、設備を貸し出してくれたり。サポートをしてくれるんですね」
庸久さん「おじいさんはつくることが好きで。父は技術的なこと、生業にするために必要な技術を学んで仕事をしていたように思います」
ーー身近な存在であるおじいさんとご両親が焼き物をされていたんですね。小さな頃から土に触れていたんですか?
庸久さん「ほとんどないですね。全然興味もなくて。大学を卒業してから実家に戻り、父親から進められまして。そこから指導所で2年間学び、卒業してすぐ足尾に戻って独立しました。
指導所では、1年目はろくろの勉強。ひたすらつくって、たまったら焼いてを繰り返していました。2年目からは釉薬や、ろくろのコースなど選べるんですが、1年目でやって面白かったのでぼくはまたろくろのコースに行って、色々なものをつくりました」
ーーろくろについて深めたんですね。
慶子さん「1年じゃなかなか深まるとかではないです」
庸久さん「深まるわけがない(笑)未だに深まらないです」
ーー慶子さんは福岡県のご出身なんですよね。東京の多摩美術大学をご卒業されてから、益子の指導所に入所されたきっかけをうかがえますか?
慶子さん「益子には、学生の頃からよく遊びに来てたんですね。東京から日帰りで来られるし。卒業から1〜2年くらい経った頃、両親が東京から地方に転勤することになって。そのタイミングで益子へ移り住みました。益子は近しい場所だったように思います。
多摩美では絵画科の油画専攻でした。その中でも陶芸クラスで。工芸の陶芸ではなく、オブジェなど、立体作品をつくっていました」
庸久さん「その頃から土はいじっていたんだよね。そこで益子と結びついたのかな」
慶子さん「つながってるのかな……、思い当たることといえばこのふたつで。考え抜いて益子を選んだわけではないです」
うつわとしての価値を学ばせてもらえたスターネットでの3年間
ーー益子の指導所で出会われて、2004年から共同で器をつくられていますが、今の作風はどのようにして生まれたのでしょうか。
庸久さん「やりはじめた時は、正直何やっていいかわからなかったですね。とにかく本を読んだり、慶ちゃんにきいたりするしかなくて。そんななか、卒業してすぐ陶器市に出品したんですが、そこでスターネット(※)創設者の馬場さんから声をかけていただいて、その秋からスターネットに卸をすることになったんです。そうしたら『こういうのつくってきて』と要望を常にいただけたので」
※益子の器作家の作品や、オーガニック食材などを扱う人気セレクトショップ
ーー馬場さんと一緒に相談しながら、作品を形にしていったのでしょうか。
慶子さん「一緒につくるとか、細かくデザインを渡されるというよりは、つくったものを持っていくというかんじでしたね」
庸久さん「『花器をつくってきて』とか『器をつくってきて』とかお題を出されて。僕らは修行をしていないので、それが修行のようなものでした。マグカップだったら『ここをもう少し直した方がいい』『取っ手がなんとかならない?』と返事がもらえて、こちらで考えてつくり直してというのをさせてもらえたんですよね」
慶子さん「3年くらいそんなかんじで。毎月買い取ってくれていたんです。作品づくりをはじめたばかりの人にとって、そういう場所ってなかなかないと思うんですけど。とても恵まれていたと思います」
庸久さん「今思うと、ひどいものも買っていただいていたように思います」
慶子さん「すぐお店に並べて、お客さんに見ていただけたので、それが勉強になりました。最初は値段付けひとつもわからないですからね。いろいろと勉強させてもらいました。
たくさんの大人の人たちにお世話になった影響が大きくて。すごく緊張してやっていたような気がします」
庸久さん「毎月の要望に対してつくるだけで精一杯でした。販売すること関しては、こうしたらいいんじゃないか、こういう方向がいいんじゃないかと考えることは全くなくて、3年くらいスターネットだけにお世話になっていました」
ーースターネットで修行を積みながら、今の作風に行きついたんですね。
何気ない日々の出来事や、感動の積み重ねからにじみ出るもの
ーー器そのものがおいしいそうな飴釉の作品や、遠い国の民芸作品のようなスリップウェア。印象的な作品に使われている色やデザインは、どんなものからインスピレーションを受けることが多いんですか?
慶子さん「スターネットでおつとめしていた頃からつくるのに精一杯でした。見るものといえば博物館や美術館で、東西問わず古いものが多かったように思います。芸術作品は陶芸に関わらず、いろいろ。そういうものから受けたものが積み重なって出てきてるんじゃないかと思います」
ーーたくさんの感動が複雑に組み合わさってにじみ出てくるものなんですね。
庸久さん「複雑なんでしょうか?」
慶子さん「普通に生活しているなかのできごとも影響していると思うし。人との出会いもあるだろうし。自然物からの影響もとても大きいと思いますが。刺激を受けたものについて分析してつくるものを考えることはないような気がします」
ーー郡司さんが古いものから受けた刺激や日々のさまざまが、器を通して私たちに懐かしさを感じさせるのかもしれませんね
変化を繰り返すなかで、そのときにしか出てこないもの。
慶子さん「色は、土、釉薬、窯焚きから生まれるので、思ったように仕上がるわけではありません」
庸久さん「研究を積み重ねて『いいのができた!これをずっとやっていくぞ!』ってかんじではないんですよね。そのときに『こんなのがあった。やってみよう』とはじめても、次が同じように仕上がるわけではないですし」
慶子さん「やってる種類が多くなってしまうのも、そのためかもしれないですね」
庸久さん「ず〜っと変化していくものなんだと思います。足尾から益子に来て、薪の窯で作業できるようになったことで、また要素がふくらんだようにも思います」
ーー作風について大切にしていることや、譲れないこと、こだわっていることはありますか?
慶子さん「器は道具なので、もちろん使う際のことも考えますが……、特にこだわりは思いつきません」
庸久さん「変化しますからね、言い切れないです。自分の技術も変わっていくし。できなかったことができるようになることも、できてたことができなくなることも」
慶子さん「自分たちの生活や考えていることからあまりにもかけ離れていることだとピントが合わなくてできないこともありますが。自分たちにとって難しいレベルの依頼をいただいて、それが刺激になることもあるし。こだわるよりも、とにかくやってみる方ですね」
庸久さん「そうだね、考えるよりやってみるところがあるかもしれません」
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