ライター : macaroni松阪特派員 たけ

松阪市 地方活性化企業人

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三重県松阪市の中心部から少し離れた、大通りから生活道路へ少し入ったところに佇む168食堂。一見すると洗練されたカフェのような外観だが、そののれんの奥には40年以上続く手打ちうどんの伝統と、家族の絆が紡ぐ深い物語が息づいている。店主の尾崎知香さん(40)が父から受け継いだのは、単なるレシピではなく、地域に愛され続けた味への責任と、新しい時代に合わせた食堂のあり方だった。今回はそんな物語を紐解いていこう。

製菓学校から食堂経営へ―知香さんの多彩な経歴

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高校卒業後、彼女は1年制の製菓学校に進学した。実は両親とも調理師学校の出身で、二人の出会いの場所にもなったというその場所は、父が学んだ調理師学校の製菓部門だった。親子二代で同じ学校に通ったことになる。

卒業後、地元のパティスリーに就職したものの、半年後アパレル業界に転身し服屋で働き始めた。接客の才能を発揮した知香さんは3年ほどで店長にまで昇進したが、この仕事も辞めることになった。次に選んだのはゴルフ場のフロント業務。接客スキルを活かせる仕事だったため、知香さんは充実した日々を過ごしていたが妊娠・出産を機に退職を決意する。そして、子どもを保育園に預けながら、父の店「いろは」を手伝うようになったのだ。

この時期、知香さんは初めて本格的に調理の世界に足を踏み入れた。父の背中を見ながら、うどんの作り方や出汁の取り方を学んでいった。ただし、父は教えるというより、見て覚えろというスタイル。知香さんは父の動きを観察し、時には質問しながら、少しずつ技術を身につけていった。しかし、まさか数年後に自分が店を継ぐことになるとは、この時は想像もしていなかっただろう。

突然の別れと、再出発への葛藤

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2020年3月、知香さんの人生は大きく変わった。35年間手打ちうどん店「いろは」を営んできた父が突然この世を去ったのだ。父は職人気質で頑固な性格ながら、毎朝2時や3時には起きて仕込みを始める勤勉な人物だった。知香さんが若い頃に夜遊びから帰宅するとすでに厨房の電気がついていて、「早かったな」と声をかけられた記憶が今も鮮明に残っているという。

父の急逝後、一度は店を閉めることを決意した。長年父の背中を見て手伝ってきたとはいえ、肝心の出汁の取り方や麺の作り方を詳しく教わっていなかったからだ。職人である父は職人なりの感覚で仕事を進めていたため計量などせず、知香さんは正確なレシピを知らないまま父を失ってしまったのだ。しかし、長年店を支えてくれた常連客や知り合いたちが口々にこう温かい言葉をかけてくれたという。

「もう一度やってみたら…?やらない後悔よりやった方がいい、できないのは当たり前なんだから、できるところまでやってみればいい。」

店の改装まで手伝うという具体的な支援の申し出に、知香さんは再び立ち上がる決意を固めた。

味の再現に捧げた4ヶ月の試行錯誤

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店を再開すると決めてから、母を中心に家族で父の味を再現するための挑戦と向き合うことになった。なかでも最大の壁となったのが出汁である。カレーうどんの作り方自体は、かつて手伝いながら身につけていたものの、その土台となる出汁の味が定まらなければ、父の味は決して蘇らない。知香さんは記憶を頼りにレシピを組み立て、材料を計量しては家族全員で試食を重ね、配合を変える─そんな試作の日々を何日も積み重ねていった。

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さらに、昔から店に通ってくれていた常連客にも試食を依頼し、率直な意見をもらいながら微調整を続けていく。記憶の中の味を追いかける作業は想像以上に困難を極めたが、数ヶ月に及ぶ試行錯誤の末、ようやく納得のいく地点へとたどり着くことができた。こうして、父の味の本質を捉えた出汁が完成したのである。

一方で、麺に関しては父がすべて手打ちで担っていたため、製法を継承することは叶わなかった。そこで知香さんは、味の方向性を理解してくれる信頼できる製麺所を探し、仕入れに切り替える決断を下す。自家製麺でなくなることへの寂しさは残ったものの、父が何より大切にしてきた出汁の味さえ守れれば、店の魂は確かに受け継がれる──そう信じての選択だった。

「いろは」から「168食堂」へ―新しいコンセプトの誕生

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再出発にあたり、知香さんは店名を「手打ちうどん いろは」から「168食堂」へと改めた。父が「覚えやすさ」を大切にして名付けた「いろは」という名前の精神を、時代に合わせた形で受け継いだ結果である。だが、変化は名前だけにとどまらなかった。むしろ大きく舵を切ったのは、店そのものの在り方だった。

父の代で営まれていた頃の「いろは」は、典型的な昔ながらのうどん屋で、食事を終えた客が長居せずに店を出る、そんな空気感が自然とできあがっていた。回転率は良好だった一方で、腰を落ち着けて過ごす場所とは言い難かったであろう。知香さんは、その点に手を入れることを決意する。味は守る、しかし、空間は変える…ゆっくりと食事を楽しみ、ひと息つける店にしたいという思いがあった。

そこで、うどんに加えて定食メニューやカフェの要素を積極的に取り入れていった。この変化は、必ずしもすべての人にすぐ受け入れられたわけではない。店名が変わり、外観も洗練されたことで、「いろは」は閉店してしまったのだと勘違いする常連客も少なくなかった。

しかし転機は訪れる。一昨年、テレビ番組のカレーうどん特集で紹介されたことをきっかけに、かつての客足が再び戻り始めたのだ。
「まだ、あのカレーうどんをやっているのか」
そんな驚きと喜びの声が、少しずつ店内に響くようになっていった。

スパイシーさとだしが両立するカレーうどん

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カレから定食:1,450円。人気メニュー2品がセットになった168食堂の定番商品!
他にはあまり知られていない松阪の名物料理といえばカレーうどんだ。市内には十数店のカレーうどんを出すうどん店が点在している。その中でも168食堂のかれーうどんはガツンとした辛味とパンチでご飯が進むように仕上がっている。とろみも固めに付けられているため冷めにくく、うどんにもよく絡んで口の中を満たしてくれる。

セットのからあげも同様にしっかりした味付けで、ガッツリ系の定食となっている。ぜひご飯は大盛りを注文することをおすすめする。

知香さん自身のおすすめは「チーズ入り玉子卵とじうどん」だ。これは父の時代からあるメニューで、卵のまろやかさとチーズのコクが絶妙に調和している。また、冬季限定の「辛味噌うどん」も人気が高い。甘辛いコチュジャンベースの味付けが、寒い季節に体を温めてくれる。

唐揚げとシフォンケーキ―新メニューに込めた思い

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店を再開するにあたり、知香さんが重視したのがメニューの拡充だった。うどんだけでは父の店の延長線に留まってしまう。そこで選んだのが、得意としていたシフォンケーキと、食堂らしさを象徴する唐揚げである。シフォンケーキには、父が使っていたうどん用小麦粉を一部用いる工夫を施し、味を別の形で継承した。唐揚げは定食の主軸として幅広い世代に支持され、テイクアウト需要にも応えた。

興味深いのはメニューが客の声から生まれていることだ。人気メニューの「ねばとろ丼」は、もともとネギトロ丼として提供していたものを、客から「もっといろいろ入れられないか」と提案され、とろろやめかぶを加えて進化させたものだ。

知香さん自身のおすすめは「チーズ入り卵とじうどん」だ。これは父の時代からあるメニューで、卵のまろやかさとチーズのコクが絶妙に調和している。また、冬季限定の「辛味噌うどん」も人気が高い。甘辛いコチュジャンベースの味付けが、寒い季節に体を温めてくれる。

41年の歴史を刻んだ3つの店舗

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「いろは」の歴史は、知香さんが生まれる直前の1985年3月に始まった。父は三重県内のいくつかのうどん屋で修業を積んだ後、独立を決意した。複数の店で就業していたというが、中でも四日市の老舗うどん店で学んだ技術が「いろは」の基礎となっているという。

創業1店舗目は市街地から少し離れた貸店舗だった。ここで約6年間営業し、地域に根付いた店として認知されるようになる。父の作る手打ちうどんは評判を呼び、昼時には行列ができることもあったという。2店舗目は国道沿いで店の認知度は一気に高まった。しかし、夜になるとバイクが信号で止まり、大きな音を立てていく。交通量の多さは集客には有利だったが、静かな環境を好む父には耐え難いものだった。

そして3店舗目が現在の場所だ。父は静かな環境を求めて、あえて幹線道路から少し離れた住宅街を選んだ。父は、飯高の自然に囲まれた静かな環境に強い愛着があったようだという。この場所なら、落ち着いて仕事ができると考えたのだろう。土地と建物を購入し、店舗として2002年頃から営業を開始した。知香さんがちょうど高校を卒業する頃のことだ。

父はこの店で約16年間営業を続け、知香さんが店を引き継ぎ、2020年7月末から「168食堂」として再スタートを切った。今年で6年目を迎え、通算すると41年近い歴史を持つ店となっている。

地域に愛される食堂を目指して

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知香さんが最も大切にしているのは、お客とのコミュニケーションだ。客の顔を覚えて声をかける、気軽に話せる関係を築くことを心がけている。そんな小さな積み重ねが、居心地の良い空間を作り出しているのだ。

客層は実に幅広い。赤ちゃん連れの若い家族から、杖をついて歩いてくる高齢者まで、あらゆる世代が訪れる。父の時代から通っている客の中には、子どもだった人が親になり、自分の子どもを連れて来店するケースもある。41年という歳月が、世代を超えた絆を生み出しているのだ。

テイクアウトメニューも充実させている。以前は鍋焼きうどんのみだったが、客からの要望を受けてカレーうどんも持ち帰り可能にした。唐揚げなどの定食メニューもテイクアウトできる。コロナ禍をきっかけに始めたサービスだが、今では店の重要な柱の一つとなっている。

心が和らぐ店への思い

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知香さんは父から多くのものを受け継いだ。レシピや技術だけでなく、せっかちな性格も似てきたと自覚している。料理ができたらすぐに提供する、客を待たせない。そんな父の姿勢は、知香さんの中にも息づいている。最後になにかございますか?と伺うと彼女から出てきたのは従業員とお客様への言葉だった。

「信頼できるスタッフと素敵なお客様に支えてもらっているので、今もお店を続けることができています。本当にみんなには感謝してます。気軽にお越しいただき、お腹も心もいっぱいになってもらえたら嬉しいです」。

168食堂は、単なる飲食店ではない。41年の歴史と、家族の絆と、地域の人々の思い出が詰まった場所だ。父の急逝という悲しみを乗り越え、知香さんは新しい形で店を蘇らせた。その挑戦は、今も続いている。静かな住宅街に佇む食堂で、今日も温かい出汁の香りが漂い、客の笑顔が溢れている。
168食堂カフェ
〒515-0847
三重県松阪市岩内町16−1
日曜日
定休日
月曜日
定休日
火曜日
11:00〜15:00
水曜日
11:00〜15:00
木曜日
11:00〜15:00
金曜日
11:00〜15:00
土曜日
11:00〜15:00
日曜日
定休日
開閉
0598-58-3154
席数
30席(カウンター:3+5、座敷:6〜8名掛け×1、4名掛け×3、2名掛け×1)
L.O.
14:30
定休日
日・月
最寄駅
松阪駅より車で20分
支払方法
QR決済可
平均予算
1,000〜1,500円
駐車場
店前15台+隣の空き地5台
禁煙
ランチ

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