ライター : ☆ゴン

八丁味噌とは?

八丁味噌とは、現在の愛知県岡崎市の八帖町(旧・八丁村)で、江戸時代初期から作られてきた豆味噌のことです。旧八丁村は、岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にあったので、つけられた地名。その村が発祥であるため、村名がそのまま味噌の名前になったとされます。

江戸時代の八丁村は、船着き場や塩の専売があった水陸交通の要衝でした。そのため河川舟運を利用しての原料調達や、味噌の出荷が容易な地理条件。また良質な伏流水に恵まれていたことも、八丁味噌作りに適した条件だったのです。

八丁味噌の原料は大豆と塩のみ。いまでも老舗では職人が木桶に、手で石を積み上げて重石にし、二夏二冬(ふたなつふたふゆ)以上長期熟成させて作ります。

定義は?八丁味噌と豆味噌、赤味噌との関係性

基準を満たした豆味噌だけが「八丁味噌」と名乗れる

八丁味噌は大豆から作られる豆味噌です。豆味噌にもいろんな種類がありますが、八丁味噌と名乗れるのは、国が定めたさまざまな基準を満たしたものだけ。

原料は大豆と塩のみを使い、重しをのせて1年以上熟成させるなど、細かい規定があります。味にも基準があり、酸味はおおむねpH4.8~5.2程度で、旨味や苦渋味があることも八丁味噌の条件です。(※1)

赤味噌と赤だし、八丁味噌の関係性

赤味噌とは製法や原料に関係なく、見た目が赤くて濃い色をした味噌の総称。赤だしとは一般的に、米味噌と豆味噌をブレンドした、合わせ味噌で作る味噌汁のことです。

赤だしの名がついた商品がありますが、それは味噌の種類ではなく、だしや合わせ味噌が入った調合味噌のこと。八丁味噌も赤味噌の一種で豆味噌であるため、当然ながら赤だしに使われます。

八丁味噌の歴史

※画像はイメージです
八丁味噌の歴史は、江戸時代初期までさかのぼります。愛知県岡崎市にあった旧八丁村で、旧東海道をはさんで向かいあっていた、2軒の味噌蔵がカクキュー」と「まるや」。この2軒の味噌蔵だけが、江戸時代から続いている八丁味噌の老舗です。

現在も両社は元祖を自認し、いまの八帖町で作る豆味噌だけが八丁味噌と主張しています。さらにこの2社が、農林水産省の地理的表示(GI)制度に八丁味噌の登録を申請。それによって、愛知県味噌溜醤油工業協同組合と紛争になるのです。

農林水産省は、「八丁味噌の製造地は県全域におよび、社会でも認知されている」として、両社の申請を却下。逆に紛争相手の協同組合が生産者として登録されました。そのため現在は、愛知県の味噌蔵で醸造し、規定をクリアした味噌であれば、八丁味噌と名乗れるのです。(※1)

八丁味噌の栄養価

八丁味噌100gあたりのカロリーは217kcal。米味噌の一種である甘味噌と同カロリーで、赤味噌100gあたりの186kcalに比べるとやや高めです。

八丁味噌はほかの味噌と比較して、たんぱく質を多く含むのが特徴。100gあたりの含有量は17.2gで、甘味噌の9.7gや赤味噌の13.1gと比べても、豊富に含まれていることがわかります。(※2)

(八丁味噌の栄養価は、豆味噌の値を元に算出)

八丁味噌の味わい

※画像はイメージです
八丁味噌は、濃厚なコクとほのかな酸味、独特の渋味や苦みがあり、糖分が少ないため甘味は少ないのが特徴。色が濃いので辛口に思えますが、舌で感じる塩味は控えめです。長期間熟成されているため、塩の角が取れてまろやかで旨味のある味わいを楽しめます。
※掲載情報は記事制作時点のもので、現在の情報と異なる場合があります。

編集部のおすすめ