ライター : 中島茂信

幼稚園の頃、亀戸天神の近くにあった田久保精肉店のコロッケを食べ、「食」にめざめてしまいました。ラードで揚げたコロッケが大好物。最後の晩餐はもちろんコロッケ。 ◎主な著書『…もっとみる

イタリア好きとの交流のはじまり

西村暢夫(にしむら のぶお)氏のI書房では、1958(昭和33)年3月の設立直後から小冊子『I図書』を発行した。イタリア関係の文献を紹介したり、近着図書や在庫図書の目録だけでなく、専門家の小論文をのせたりしていた。また、学会や各種研究会、講習会の開催の告知も掲載。わら半紙のような紙をもちいた毎号30ページから40ページの小冊子を、顧客に郵送したり、直接届けたりしていた。

そのI図書が、1958(昭和33)年8月3日土曜日の朝日新聞朝刊に紹介された。「小さな雑誌」という見出しの、5cm四方の小さな記事だったが、反響は大きかった。この頃、イタリアの書籍を輸入する書店が少なく、イタリアの法律、政治史、経済史、建築、化学、音楽、美術など多方面の分野を研究する学者から「I図書をおくってほしい」旨の問い合わせが寄せられたのだ。

西村氏は、東京外国語大学イタリア語学科卒業者やその関係者を対象とするビジネスとしてI書房をスタートさせた。当初、東京外国語大学在籍中から交流があった学者や研究者に、イタリア語文法、イタリア文学に関する小論文の執筆を依頼し、I図書に掲載していた。

「自分が東京外国語大学で学んだイタリア文化は、語学や文学が中心でした。ところが、実はイタリアには自分が知らないさまざまな文化があり、それらを研究する人が大勢いることが、朝日新聞で紹介されたことでわかりました」

朝日新聞で紹介されたあと、西村氏はI図書の編集方針を大幅に変更した。自分の守備範囲ではない分野を専門とする学者や研究者に、小論文の執筆をたのむようになったのである。

増えていくイタキチ仲間

Photo by macaroni

西村暢夫氏の近影
西村氏は、I図書の最新号が刷り上がるたび、できる限り自分の手で寄稿者へ届けるようにしていた。西村氏が研究室を訪れると、大半の学者や研究者が歓待してくれたという。

イタリア経済政策が専門の当時関西学院大学の教授だった尾上久雄氏(おのえ ひさお 故人)には、神戸のイタリアン『ドンナロイヤ』に連れて行ってもらった。ルネサンス文学と哲学が専門の広島大学の清水純一教授(しみず じゅんいち 故人)には、安芸の宮島を案内してもらった。

「ルネサンスの思想史を研究していた北海道大学の花田圭介教授(はなだ けいすけ 故人)にイタリア書籍を持参したら、お酒をご馳走になりました」

教授や助教授は、西村氏をなぜ歓迎したのか。I図書や書籍をわざわざ届けたことも喜んでくれたはずだが、西村氏とイタリア文化の研究者には、書店と顧客の関係以上のものがあった。

「イタリア好きの同志であり、イタキチ仲間でした」

昭和30年代、イタリアを研究する学者は少なく、彼らは同じイタリア好きとの会話を渇望していた。書籍やI図書を届けにきた西村氏と話をすることこそ、楽しみにしていたのである。

月刊誌『イタリア パスタの研究』を創刊

Photo by macaroni編集部

当初、I書房は川崎市にあった。資金不足で、妻・敏子の実家で開業したのである。田んぼのなかのみすぼらしい一軒家に、わざわざ本を買いにきてくれた人もいた。

その後、千代田区神田に移転。事務所はビルの3階にあり、何をしている会社なのかわからないことから、イタリアの国旗を窓にかかげた。階段で3階まで上がってくる客の大半が、イタリアの研究者だった。事務所にこそ来訪しなかったが、I書房の重要な顧客になった人がいる。明星食品社長の奥井清澄(おくい きよずみ)氏である。

Photo by 西村暢夫

世界地理風俗大系(誠文堂新光社)に掲載された、西村氏が撮った1962年の南イタリア。焼き物のかめに共同水道の水をくんでいる女性
前前回記したように、奥井氏は通訳の西村氏を伴い、1962(昭和37)年にイタリアへわたった。エミリア・ロマーニャ州のフェッラーラにあるリッチ社のパスタマシーンを買い付けるためだった。そのミッションに成功した奥井氏は、リッチ社と提携をむすび、明星リッチを設立。1965(昭和40)年4月、埼玉県に嵐山工場が完成し、スパゲッティとマカロニの製造をはじめた。

その翌年6月、明星リッチが『月刊料理雑誌イタリア パスタの研究』を創刊する。現在であれば、食品メーカーが小冊子やPR誌をあたりまえのようにつくっているが、当時としては珍しいことだったにちがいない。西村氏が、奥井氏に「パスタを中心に、イタリア料理を紹介する雑誌を発行しないか」と提案したのだ。編集は明星リッチ、発行人は西村氏、発行所はI書房だった。

「パスタ」を日本に紹介したのは西村氏

こんにち、パスタという言葉は子どもでも知っているが、『月刊料理雑誌イタリア パスタの研究』が発行されるまで、日本ではパスタという言葉が使われていなかった。西村氏がはじめて紹介したのである。

「当時の日本には、パスタという言葉は存在しませんでした。ロングパスタもショートパスタも、すべてマカロニと呼んでいました」

『明治屋食品辞典』(スーパーマーケット『明治屋ストアー』で知られる明治屋が発刊)には、マカロニやスパゲッティを「一括してマカロニと呼んでいた向きがある」と記載されている。

「パスタ」が日本に浸透する以前は

マカロニやスパゲッティの製造メーカーが組織する「日本パスタ協会」という一般社団法人がある。設立は1972(昭和47)年で、「全日本マカロニ協会」の名でスタートした。現在の名前に改称したのは2002(平成14)年のことである。

いまや映画監督として名高いクリント・イーストウッドは、「ダーティハリー」シリーズがヒットする以前、イタリアで製作された西部劇「荒野の用心棒」(1964年)や「夕陽のガンマン」(1965年)に出演している。映画評論家の淀川長治氏(故人)は、イタリア映画の西部劇をマカロニ・ウエスタンとよんでいた。あの頃、パスタという言葉が使われていたら、ゴロこそ悪いが、パスタ・ウエスタンと呼ばれていたかもしれない。

『月刊料理雑誌イタリア パスタの研究』創刊号には、パスタの歴史やパスタのゆで方、ブドウ酒の話、パスタ料理のレシピなどが掲載された。パスタのゆで方やレシピを教えたのは、イタリアの職業訓練所で料理を教えていたルイジ・ゴーニ氏である。ゴーニ氏は、創刊号が発行される3か月前に来日。明星リッチ主催のパスタ料理講習会の講師をつとめた。会場は、前年6月に開館したばかりの渋谷東急ビル(現・東急プラザ渋谷)の8階。真新しいビルのホールで、3月26日から 4月2日までイタリア料理講習会が開催され、大勢の女性が参加した。

次回につづく

コラム『イタリアの食文化』

allegria(アッレグリーア)

年末年始は家族や親戚、友人、恋人が集まり、食事をする機会が増えるはずです。でも、今年は、イタリアでも日本でもそれができそうにありません。近い将来、大勢で会食をするときのためにも、覚えておいてほしいイタリア語があります。
食事中、ワイングラスをたおしたり、お皿を引っくり返してしまったりすることがあるかと思います。私自身何度も経験していますし、隣の人が水をこぼしたことがあります。そんなとき、イタリアでは、近くにいる人が「アッレグリーア!」と叫びます。非難ではありません。「アッレグリーア(allegria)」とは、陽気なという形容詞「アッレグロ」の名詞形で、陽気、愉快という意味があります。

ワイングラスをわってしまった人に、「陽気にしてくれてありがとう」という感謝の意味をこめて、アッレグリーアと声をかけるというわけです。イタリア人のやさしさを示す、私が大好きな言葉のひとつです。

この言葉をふつうに使える日常が早く戻ることを願っています。
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