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ライスカレーとカレーライス、どちらが正しい?
日本にカレーが伝わった経緯と歴史
日本にカレーが伝わったのは、本家のインドからではなくイギリスからでした。かつて植民地だったインドの混合香辛料と米を、自国に持ち帰って改良したのがイギリス風カレー。その後、イギリスの企業がカレー粉を開発し発売すると、イギリス国内で一般化するのです。
明治維新のころに、そのC&B社のカレー粉が日本に上陸。文明開化の機運と肉食の解禁もあって、西洋料理として受け入れられたちまち評判になります。当時の洋食店ではステーキやカツレツ、カレーがとくに人気がありましたが、庶民にとってはたいへん高価な料理。
その後カツレツはとんかつに、カレーはカレーライスとして日本の食文化に馴染んでいくのです。カレーの普及に寄与したのが、陸軍や札幌農学校でカレーを日常的に食べていたこと。さらに国産カレー粉の誕生、固形ルーの発売などによって、家庭で手軽に作るようになります。
明治維新のころに、そのC&B社のカレー粉が日本に上陸。文明開化の機運と肉食の解禁もあって、西洋料理として受け入れられたちまち評判になります。当時の洋食店ではステーキやカツレツ、カレーがとくに人気がありましたが、庶民にとってはたいへん高価な料理。
その後カツレツはとんかつに、カレーはカレーライスとして日本の食文化に馴染んでいくのです。カレーの普及に寄与したのが、陸軍や札幌農学校でカレーを日常的に食べていたこと。さらに国産カレー粉の誕生、固形ルーの発売などによって、家庭で手軽に作るようになります。
当時はライスカレーと呼ばれていた
日本に伝わった当初から、イギリスにならってカレーと呼んでいました。そのカレーをごはんにかけたものをライス&カレー、ライスカレーと呼ぶように。これは当時の洋食店や陸軍、札幌農学校の区別なく長らく同じネーミングでした。
昭和初期になると、東京で中村屋が「純印度式カリー」、資生堂パーラーが高級カレーを提供するようになります。すでに一般的だったライスカレーとは違い、香辛料や具材にこだわった内容。このころから高級カレーを、カレーライスと呼ぶようになるのです。
昭和初期になると、東京で中村屋が「純印度式カリー」、資生堂パーラーが高級カレーを提供するようになります。すでに一般的だったライスカレーとは違い、香辛料や具材にこだわった内容。このころから高級カレーを、カレーライスと呼ぶようになるのです。
昔はライスカレーとカレーライスに明確な違いが
ライスカレーとは
ライスカレーとは、皿にごはんを盛りつけて、その上にカレールーをかけたもの。そう、いまのカレーライスそのものですね。このスタイルが日本のカレーのはじまりで、本来の呼び方だったといって間違いありません。
カレーライスとは
新宿・中村屋の純印度式カリーは、インド人監修による本格的なインドカレー。銀座・資生堂パーラーはイギリスの欧風カレーながら、香辛料や具材にこだわるのはもちろん、提供の仕方が異なっていました。
カレールーを入れたソースポットと、ごはんを盛りつけた皿を別々にするスタイル。いまでも一流ホテルのレストランでは、このスタイルで提供するところがあります。これが契機になり、高級カレーをカレーライスと呼ぶようになったそうです。
カレールーを入れたソースポットと、ごはんを盛りつけた皿を別々にするスタイル。いまでも一流ホテルのレストランでは、このスタイルで提供するところがあります。これが契機になり、高級カレーをカレーライスと呼ぶようになったそうです。
時代の流れとともにカレーライスが多数派になる
大衆的なライスカレーに代わって、高級なカレーライスという言葉が一般化する具体的な時期はよくわかりません。カレーが家庭に浸透するのは、オリンピック開催や東海道新幹線が開通する高度経済成長期。この時代から徐々に言い換わっていったのではないでしょうか。
1986年に「ライスカレー」というTVドラマがありました。番組のなかで「カレーライスなんて偉そうなものじゃなく、ライスカレーこそが庶民の食べ物」というシーンが。わざわざタイトルにしていることから、このころにはもうカレーライスが多数派だったと思われます。
1986年に「ライスカレー」というTVドラマがありました。番組のなかで「カレーライスなんて偉そうなものじゃなく、ライスカレーこそが庶民の食べ物」というシーンが。わざわざタイトルにしていることから、このころにはもうカレーライスが多数派だったと思われます。
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