目次
小見出しも全て表示
閉じる
江戸時代の料理「江戸ごはん」を再現!
いま江戸時代にはどんな食事が食べられていたのか?ということに注目が集まっています。現代の食事のもとになったのが江戸時代の料理といわれ、では当時の料理を再現してみようという動きが高まっているんですね。
たとえば「豆腐百珍」という名前を聞いたことがある方がいるかもしれませんが、これは江戸時代に出された書物で、豆腐の料理法を100種類記したものでした。当時はベストセラーを誇り、その後刊行される料理レシピ本のきっかけともなったのですが、この本を現代語に訳して新たに出版されていたりもします。
江戸時代の人たちはなにを食べていたの?
では具体的に、江戸時代の人々はなにを食べていたのでしょうか?当時は「士農工商」という身分制度もあり、裕福な家ではおかずも多く、充実した食事だったでしょうが、貧しい家ではやはりおかずはほとんどない質素なものだったと考えられます。
農民は白米も食べられない生活
江戸時代の農民は、白米もあまり食べられず「ひえ・あわ」などの雑穀を主食にしていました。
当時はまだ農業が高度化していないため、お米を大量に収穫できず、収穫したものは大部分年貢(いまでいう税金)で幕府や藩に納めました。つまり自分たちで食べる白米は、手元にほとんど残らなかったわけです。白米が食べられるのは、お祭りなど年にわずか数回、特別な日だけでした。
下級武士は白米ばかり食べていた!?
武士とひと口に言ってもその幅は広く、将軍、大名から下級武士までいました。上級武士は豊かな食生活を送っていましたが、下級武士の収入は少なく、庶民とあまり変わらない食生活だったようです。
下級武士の食事のメインは白米ばかり。日々のおかずは自家菜園で育てた野菜とたくあん漬け、魚を食べられるのは月に数回程度だったのです。
奉公人の丁稚(でっち)は漬け物ばかり
商家に奉公していた丁稚(でっち)たちも白米は食べていましたが、朝は毎日味噌汁だけで、昼は魚が食べられることもあり、夜はなんと漬け物だけだったのだとか。
現代では夕食が一番豪華にされますが、当時は夜は電灯もないので早く就寝するため、夕食も質素だったようです。丁稚たちには商用で出かけたときに、外で食べるそばやお寿司が大変なごちそうでした。ふだんの食生活を考えると当然のことですよね。
江戸の「肉」を表す言葉
「肉」が日本で食べられるようになったのは明治時代以降、江戸時代の人々は魚や豆類でたんぱく質をとっていました。
しかし江戸の人々がまったく肉を口にしなかったかというとそうではなく、精力をつけるための「薬食い」として考えられていたんだとか。山でとれるイノシシは「山くじら」や「牡丹」と呼ばれ、馬は「桜」、鹿は「紅葉」という名で呼ばれていました。
ただウサギだけは鶏の仲間なので食べても良いという習慣も。ウサギを「1羽」と数えるのはその名残なのです。
※掲載情報は記事制作時点のもので、現在の情報と異なる場合があります。
暮らしの人気ランキング