ライター : おーさかちさと

ベリーダンサー・講師

クリスマス・イブの夜・・・

憐れなハンカチ……。 すっかり返すのを、いや、存在そのものを忘れていた。 高志に借りたハンカチは、この3日間私のバッグの中で酷い虐待を受けていたようだ。 でも、ハンカチには申し訳ないが、おかげで良いアイディアが浮かんだ。
昨夜帰ってからハンカチを洗って乾かし、クローゼットの中で眠っていたきれいなシフォン素材の生地を一緒に巻いてリースの形を作った。 薄いブルーのハンカチと、シースルーになったパープルとイエローのラメ入りシフォン生地の組み合わせは、我ながらおしゃれな仕上がりになった。 うーん、これだけだと寂しいかな。 チョコレートを溶かして丸く固め、ラッピングをしてリースのオーナメントに仕立てる。
お菓子作りなんて得意ではないので簡単なことしかできなかったけど、ラッピングのセンスには自信があった。
一夜漬けで慌てて準備したものだけど、自分なりに頑張ったつもり。喜んでくれるといいんだけど……。
「咲子! こっち、こっち!」 尾山台駅には初めて降りたが、明らかに賑わっている様子の商店街側とは反対方向から、高志が走ってきた。 「どこから来たの!? そっちは住宅街みたいだけど……」 「大丈夫、大丈夫! すごくいい店あるからさ」 「へえ、そうなの? 知らなかった。てか意外と詳しいんだね」 「俺、今自由が丘に住んでるからさあ……とは言っても、駅から20分くらいかかるんだけど。でも自由が丘エリアは休みの日によく食べ歩きしてんのよ」 本当にこんなところにレストランがあるのか不安になるような住宅街にやって来た。辺りに飲食店は見当たらない。 不安になりかけたが、歩いて1分もしないうちに鹿の絵が入った赤い看板が見てきた。 緑あふれる入口の前で、少し大きめの鹿のヌイグルミが迎えてくれる。
『ビストロ・レ・シュヴルイユ』は、尾山台の住宅街にひっそりと佇むフレンチビストロだ。 腕は確かだが無口なシェフと、癒し系の美人なマダムの夫婦ふたりでゆったりと経営しているらしい。 「いらっしゃいませ」 柔らかい口調でマダムがやさしく出迎えてくれる。仕事の疲れが一気に吹き飛ぶ。シェフも厨房から笑顔で歓迎してくれた。 クリスマス・イブの夜は満席で、落ち着いた雰囲気の店内ではテーブルの上にキャンドルが灯されている。壁に飾られたリースもクリスマスムード全開で、あたたかい雰囲気のお店だ。
周りにいるのはカップルからひとりで来ている人まで多種多様で、常連のお客さんも多そうに見える。 「とりあえず、お疲れ!」 「乾杯!」 イチゴのサングリアは、果肉がたっぷりで甘くて飲みやすい。季節によって、桃やリンゴ、洋ナシなど旬の素材を活かした味になるそうだ。 高志はいつも通りビールを飲んでいる。 壁に掲げられメニューを見ると、色んな食材を使ったメニューがある。
「ここ肉がうまいから! 鹿肉もうまいし、仔羊のローストなんか特に好きだな。副菜も手が込んでんのよ。旬の野菜をいろいろ使ってるから、季節が変わるたびに来ると楽しいぜ」
どうやら相当来ているらしい。 高志がこんなお洒落な店に通っているのは意外だった。ふたりで飲みに行くときは、会社帰りなので新橋の居酒屋に行くことが多かった。 なんだか高志の知らない顔を見た気がする。
そういえば、私は高志のこと、知らないことだらけだな……。
キャンドルの向こうに揺れて見える高志は、広い額に皺が寄るほど切れ長の目を見開き、得意げな顔をしている。 ワックスで固められたスポーツ刈りの頭も揺れて見える。 いや、揺れて見えるのは頭だけではない。 テーブルに置いたサングリアも、シルバーのスプーンとフォークも、ゆらり、またゆらりと、揺れて見えてきた。 こ、これは、地震……!?
(続く)

物語の続き

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