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ひな祭りの由来・歴史とお菓子を用意する意味
ひな祭りは、中国から伝来した「上巳節」という厄除けの行事や、もともと日本にあった「ひとがた」を使う厄払いの風習、平安貴族の子どもの間で流行していた「ひいな遊び(人形遊び)」が融合して生まれたといわれています。
江戸時代になると人形の制作技術が発展し、段飾りが生まれ、精巧で雅な姿の人形が登場。上巳の節句が五節句に定められると、宮中のみならず、庶民の間でも「ひな祭り」が親しまれるようになりました。
江戸時代になると人形の制作技術が発展し、段飾りが生まれ、精巧で雅な姿の人形が登場。上巳の節句が五節句に定められると、宮中のみならず、庶民の間でも「ひな祭り」が親しまれるようになりました。
ひな祭りにお菓子を用意する意味
歴史をひも解いてみると見えてくるのは、ひな祭りの源流にあるのが“穢れを祓う文化”だということ。そのため、ひな人形はただの飾りとしてだけではなく、穢れや災いを引き受ける「身代わり」としての意味も持っています。
ひな祭りのお菓子は、女の子の代わりに災いや穢れを引き受けてくれるひな人形へのお供え物として用意されるものなのです。
ひな祭りのお菓子は、女の子の代わりに災いや穢れを引き受けてくれるひな人形へのお供え物として用意されるものなのです。
ひな祭りの代表的なお菓子
菱餅(ひしもち)
菱餅もひな祭り同様、中国から伝わってきた文化が変遷したものです。中国には子孫繁栄・長寿・母子の健康を願い、菱の実で作った餅に母子草(春の七草のひとつ)を混ぜて食べる文化がありました。
しかし日本では「母と子をついて餅を作るのは縁起が悪い」とされ、母子草の代わりに蓬(よもぎ)が用いられるように。“白と緑の2色”だった餅は江戸時代に入って“菱形”になり、明治時代には新たに赤が加えられ、白・緑・赤の3色となったそうです。
しかし日本では「母と子をついて餅を作るのは縁起が悪い」とされ、母子草の代わりに蓬(よもぎ)が用いられるように。“白と緑の2色”だった餅は江戸時代に入って“菱形”になり、明治時代には新たに赤が加えられ、白・緑・赤の3色となったそうです。
ひなあられ
菱餅と同じく、赤・白・緑の3色が基本の「ひなあられ」。由来には諸説ありますが、菱餅を外で食べるために砕いたのが始まりとする説や、ひな人形を外に持ち出して景色を見せてあげる「雛の国見せ」という風習で食べるために用意したとする説などがあります。
ひなあられは地域によって作り方に違いがあるのも面白いところ。東日本では米粉をあぶったものを甘く味付け、西日本では餅を砕いて揚げたものをしょっぱく味付けする傾向があるそうです。
ひなあられは地域によって作り方に違いがあるのも面白いところ。東日本では米粉をあぶったものを甘く味付け、西日本では餅を砕いて揚げたものをしょっぱく味付けする傾向があるそうです。
引千切(ひちぎり)
よもぎ餅などの一部を伸ばしてちぎり、真ん中のくぼみにあんこをのせた「引千切(ひちぎり)」。その形が阿古屋貝(あこやがい)に似ていることから、「子宝に恵まれるように」という意味が込められているのだとか。
もともとは宮中で上巳の節句(桃の節句、ひな祭り)に作られていたお菓子。暇のない時期に餅を成形する手間を惜しみ、引きちぎって作られたことから “引千切” という名が付いたといわれています。
もともとは宮中で上巳の節句(桃の節句、ひな祭り)に作られていたお菓子。暇のない時期に餅を成形する手間を惜しみ、引きちぎって作られたことから “引千切” という名が付いたといわれています。
桜餅
きれいなピンク色がお祝いの席にもぴったりな桜餅。しかし、実は最近になって食べられるようになったお菓子で、ひなあられや菱餅ほどしっかりとした歴史・由来があるわけではありません。
一説には、端午の節句(5月5日の子どもの日)に柏餅を食べる影響で、桜餅を食べるようになったといわれています。華やかな春色の桜餅はひな祭りにぴったり。お祝いの席に用意しておくと、ぱっと場が華やかになりますよ。
一説には、端午の節句(5月5日の子どもの日)に柏餅を食べる影響で、桜餅を食べるようになったといわれています。華やかな春色の桜餅はひな祭りにぴったり。お祝いの席に用意しておくと、ぱっと場が華やかになりますよ。
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