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肉じゃがの発祥って知ってる?
日本のおふくろの味といえば「肉じゃが」。夏休みの帰省中にお母さんの肉じゃがをいただいたという人も多いのでは?そんな普段何気なく食べている肉じゃがですが、誕生の由来を知らないという人は多いでしょう。
実は古くから日本の家庭で受け継がれてきたというワケではなく、その存在は明治時代、ふとした偶然が重なって誕生したと言われています。
きっかけは東郷平八郎のムチャぶり
肉じゃが誕生の物語は、幕末から明治時代の薩摩藩士・東郷平八郎がまだ若い頃、イギリスのポーツマスに留学していた時期に端を発します。
その頃、留学先で食べていた「ビーフシチュー」に感銘を受けた東郷。そして、艦上食のメニュにビーフシチューを加えるよう依頼したといいます。
しかし、当時はビーフシチューの材料である赤ワイン、ドミグラスソース、バターの入手が困難で、困り果てた軍の担当者は醤油と砂糖で代用したのだそうです。
つまり…
「イギリスで食ったビーフシチューの味が忘れられん。作れ」「牛肉、ジャガイモ、人参が入っておった。調味料は知らんから何とか近づけろ」
みたいなノリの薄口オーダーだったのでしょうね。こんなオーダーを受けた軍部の料理人の苦労が推し量れますね…。
そうして苦労して作り上げられたのが“肉じゃが”というワケです。
ただ、これには諸説あり、
当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューであったこと。また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、単なる都市伝説に過ぎないとする意見もある。
出典: ja.wikipedia.org
ということでまあ、何かしらの尾ひれはついた可能性はありますね。
何にせよ、肉じゃがが生まれたのはこの時代であることは間違いなさそう。
他方で肉じゃがの誕生は、日本人が長く悩ませていたアノ病気を治すための一助になっていたんです!
「肉じゃが」は日本人を悩ませていたアノ病気を解決した!
明治時代の日本では、脚気(かっけ)が社会問題となっていました。脚気はビタミン欠乏症の一種で、歴史はとても古く、『日本書紀』『続日本書紀』にもその記述が見られているそう。
特に江戸時代は、一般の武士の間でも脚気が流行し、しだいに地方にも流行しました。江戸の地を離れると状態が回復するために、「江戸患い」とも言われていたそうです。
そんな国民病ともいえる脚気ですが、明治期には脚気の原因は解明できずにいました。
さまざまな原因解明の努力や対策が講じられるなか、高木兼寛(後に慈恵医大を創設)という軍人がビタミンと脚気との関連性を発見。原因は、たんぱく質の欠如によるものでした。その後、たんぱく質を多く含む料理が多い、洋食への切りかえがはかられたんです。
※ちなみに、これが有名な「海軍カレー」の誕生のきっかけ!!
でも…
軍艦・筑波での実験データから兵食を洋食とする事に努めたが、水兵の間では著しく不評であった。
当時の多くの日本人にとって、洋食は「バタ臭い」食べ物であり、到底食べられる代物ではなかった。
出典: kammuri.com
ということがあったらしいのです。
そんな状況のなか、東郷のムチャぶりで誕生した「肉じゃが」。
誕生のきっかけはどうであれ、洋食の味にへきえきしていた兵隊たちはよほど喜んだでしょうね!
そして、肉じゃが誕生以降は、「洋食の代用食として効果的に牛肉を摂取させる事が出来る画期的料理」として日本に定着することになったんです。
いかがでしたか?身近な食べ物でも発祥の由来を調べてみると、意外な事実が見つかるものですねえ。
※掲載情報は記事制作時点のもので、現在の情報と異なる場合があります。
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